コラム 2018.10.02

ファミマでも、ラグビーでも軸になる。近鉄 新人プロップ・石井智亮

ファミマでも、ラグビーでも軸になる。近鉄 新人プロップ・石井智亮
ラインアウトでスロアーを見やる近鉄新人プロップの石井智亮
 勤務先はファミリーマートだ。
 上本町駅の地上改札を出た右にある。
 近鉄の新人プロップ、石井智亮(いしい・ともあき)は紺の制服に身を包む。エンジが加われば、チームカラーになる。
 業務はレジ打ちや品出し。シーズン中なので勤務時間は午前8時から昼過ぎまで。
「めちゃくちゃやりやすくしてもらってます。みなさんの理解があります。パートの方からも『今日は大丈夫だから、練習に行って』と早めにあがるよう言ってもらえたりします」
 店長をつとめるのは、ラグビー部の先輩で元スクラムハーフの福地達彦である。
 石井は社員選手だ。
 今春、近鉄グループホールディングスに総合職として新卒採用された。組織は、鉄道を中心に150を超える関連会社を抱える。職制上は、そこで社長になれる資格を有する。いわばエリートのひとりだ。
 新入社員は基本的に、駅中のファミマなどを統括するリテーリングや鉄道、不動産に配属される。そこで、いわゆる「丁稚(でっち)奉公」をしながら、西日本有数の企業体における仕事を覚えていく。
 石井は神奈川の公立・生田高入学後にラグビーを始め、成蹊大に進んだ。
 黒に胸に赤が入るジャージーの成蹊大は1923年(大正12)創部。近鉄の1929年より6年早い。直近の3年は帝京大や早慶明が所属する対抗戦のAグループで戦っている。
 この大学からラグビー部への入部は57年ぶり。ロックとして主将、引退後は主務をつとめた中山久に次ぎ2人目になる。中山の入社は1961年。当時、近鉄は八幡製鉄(現新日鉄住金八幡)とともに、社会人ラグビーにおける一方の旗頭だった。
 石井は生まれも育ちも関東だ。
 入社して、初めて関西で生活する。
「温かい人が多いですね。電車に乗っていても『ライナーズの選手やね』と気軽に声をかけてくれたり、食事に行っても『にいちゃん、ええガタイ(体)してるけど、何してんの?』と話しかけてくれたりします」
 フレンドリーさが気に入っている。
 住まいはラグビー部寮。花園ラグビー場の最寄り駅、近鉄東花園から徒歩数分だ。
「この前の神戸製鋼とサントリーの試合は、僕の部屋にオイケさんとかノナカとかが集まって来て、みんなでわいわい言いながら、テレビで観戦しました」
 ダン・カーターが36−20でトップリーグデビューを白星で飾った一戦を2年上の尾池亨允や同期の野中翔平らと楽しんだ。
 石井はトップチャレンジ開幕から3試合連続して右プロップで先発する。
 ゼネラルマネジャーの飯泉景弘は言う。
「チャンスをがっちりつかんだ感じですね。彼は吸収力がすごいんです」
 レギュラーの前田龍佑のケガなどが追い風になった形だが、最初は出遅れる。
「4月にあった日野との合同練習では、スクラムがまったく組めず、ニック・スタイルズに『おまえはいいよ。出といて』と言われていました。でもそこから、彼の言うことをすべて受け入れ、頑張ってきました」
 スタイルズはフォワードコーチ。選手たちの評価は高い。そのユニットで日本人最年長34歳、ロックの松岡勇は話す。
「なんでも教えられます。スクラムもラインアウトもブレイクダウンも」
 前職はスーパーラグビー・レッズのヘッドコーチ(監督)だった。トップリーグ・クボタでの指導経験もある。石井は、その教えに素直に従う。強豪校出身ではなく、色がついていないからこそ、素直に対処すれば技術の会得は早い。それを182センチ、120キロと恵まれたボディーが増幅させる。
 栗田工業戦は、9月29日、台風24号が列島を縦断する前日にあった。
 滋賀県の東部、東近江市にある布引グリーンスタジアム。天然芝グラウンドの周囲にあるエンジのアンツーカートラックは、激しい雨を流しきれず、大きな水たまりを作る。
 その悪天候の中、石井は後半39分まで試合出場。38−7の勝利に力を尽くす。
 前半18分、スクラムで連続してコラプシングを奪った。相手プロップはイエローカードをもらい、10分間の一時退出。数的優位の中、スクラムハーフのライアン・ローレンスが先制トライを決める。石井はほほ笑む。
「試合全体を通して見れば、内容的にはよかったと思います」
 フッカーは高島卓久馬。社会人8年目は新人の左隣でスクラムをリードする。
「石井は1年目にしたらすごいです」
 賛辞を送った。
 チームはこれまでの2試合同様、「3トライ差以上」でのボーナスポイントを挙げる。勝ち点は15となり、首位を守る。同じ大阪本拠地のライバルで、昨年度ともにトップリーグ落ちしたNTTドコモに1差をつけた。
 石井はチームと個人の目標を挙げる。
「もちろん、再昇格することです。そして、まだまだ未熟ではありますが、将来的には大学から初めての日本代表になりたいです」
 夢と希望にあふれる23歳は続ける。
「関西に来て正解でした。仕事とラグビーの中で確実に成長させてもらっています」
 これからも、この浪速の地にしっかりと根を張って生きていく。
(文:鎮 勝也)

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