コラム 2018.07.17

紺グレ復活を願い、お米を送る。南丹すまいる代表取締役 藤井勝也

紺グレ復活を願い、お米を送る。南丹すまいる代表取締役 藤井勝也
同志社大学ラグビー部にお米を送り続ける「南丹すまいる」代表取締役の藤井勝也さん
 地元の丹波米を寮に送る。
 同志社大学ラグビー部のため、5年ほど前から求めに応じて始めた。
 藤井勝也は、「南丹すまいる」の代表取締役。古希の経営者は、ユーモラスに冗談を交えながら説明する。
「僕が協力できんのは、お米くらいのもんですやん。秋になったら、丹波の米がウチに何千袋と集まる。そこから、1本、2本、ちょろまかしてもねえ。まあ、担当者は僕の行動を知ってますけど」
 1本と表現する1袋は30キロ。それを月に1本程度、配送する。
 会社ではお米を中心に、プロパンガスや家のリフォームなどを扱う。
「足らんかったらいつでも送るさかい、いる時には教えて下さい、と言うてます。ああ、送ってんのは精米したコシヒカリですわ」
 藤井は同窓ではあるが、ラグビー部OBではない。それなのに、生活の糧となる商品を無償で、長期間送り続ける。折にふれて寄付もする。奇特としか言いようがない。
 ラグビーを意識したのは同志社香里で。深い経験はないが、常に身近にあった。
「当時はラグビーが校技みたいになってました。クラス対抗の大会なんかもありました」
 中高一貫の系列校には下宿して通う。自身は高校時代、テニスに興じる。
 大学は文学部に籍を置く。クラブは準硬式野球に変わるが、楕円球のつながりは深くなる。
「ラグビー部の同期は小藪君なんかでした。同級生に食堂で紹介してもらったりしてね」
 小藪修は当時の代表的選手だった。SOとして、新日鉄釜石(現釜石シーウェイブス)で日本代表キャップを獲得。1995年、第3回W杯の日本代表を監督として率いた。
 同志社とは今も縁が深い。
 ひとり娘の智子も経済学部を卒業。その長男・大晟(たいせい)、藤井にとっての孫は、高校(岩倉)の3年生PRである。
「たまたまですよ」
 そう切り返すが、事務所の棚には同志社の『ラグビー部百年史』と体育会所属のクラブ員が網羅された『スポーツユニオン統一名簿』が並んで置かれている。愛校心は強い。
「大学を出て、2年ほど大阪で働いて、家を継ぎに戻ってきました」
 生まれ育った園部は、日本海に向けて北西に細長い京都府の真ん中あたりにある。近年、周辺の四町が合併して南丹市になった。JR京都から山陰線快速で約45分。緑豊かな田園風景の広がる高地は、質のいい茶色の松茸、栗などを産する。旧国名は丹波である。
 南丹すまいるの前身、「藤勝商店」の創業は安政年間だ。
「僕は六代目ですわ」
 幕末と呼ばれるこの時期には、大老・井伊直弼が暗殺される桜田門外の変(1860年)などがあった。7年後には大政奉還が起こり、江戸から明治に時代は変わる。
 160年以上続く由緒ある家業を守る中、息抜きはラグビー観戦になる。
「30歳ぐらいやろか。ちょうど同志社が強なった頃ですわ」
 藤井が32歳の1980年度、同志社は第17回大学選手権の決勝で、明治を6−3と僅差で下し、初の学生日本一に輝いた。
 そして、1982年度から、平尾誠二、大八木淳史らを中心に3連覇を果たす。そのころには熱心なファンとして、東京・国立競技場にまで足を運ぶようになった。
 ラグビーの魅力を語る。
「フォワードの前3人なんかむちゃくちゃしんどい。耐えて、耐えて、勝利のために縁の下の力持ちに徹する。あれはすごいですね」
 現在は、サポーター組織の「同志社ラグビーファンクラブ」の会員でもある。送られてくる試合の日程表に目を通し、京田辺のグラウンドに出向く。京都縦貫自動車道に乗れば、そう遠くはない。
「まあ1時間20分もあれば着きますわ。今は、ほぼ全試合を見てます。AチームもBもCもね。趣味はラグビーくらいやから」
 藤井のお米は、日々の補食用に使われる。今年から、ハウスマスター(管理人)になったOBの北澤仁は謝意を口にする。
「寮生を含め、部員たちの食事を気遣っていただき、本当にありがたいことです」
 北澤は感謝の念を表すため、藤井と一緒になれば、グラウンドから少し離れた駐車場まで車で送ったりもしている。
「今が一番淋しい時期ですねえ。なんも試合がないから」
 この7月はほぼ対外試合はない。恒例の北海道・北見の夏合宿では、オープン戦が組まれる。しかし、藤井は飛行機が苦手。新幹線を使えば片道でたっぷり一日はかかるため、責任者としては、うかつに津軽海峡を超えられない。だからこそ、秋のシーズン到来が待ち遠しい。
 紺グレジャージーへの願いを話す。
「やっぱり、強くなってほしい。それで、ラグビーをやっている高校生たちに『ここでやりたい』という夢を与えてあげてほしいな、と思います」
 40年前に見た同志社にとっての最良の日々。その再現に向けて、これからも藤井は支援を惜しまないつもりだ。
(文:鎮 勝也)

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