コラム 2018.03.22

【小林深緑郎 コラム】 ジョー・シュミット考

【小林深緑郎 コラム】 ジョー・シュミット考
2018シックスネーションズ最終戦、イングランド戦のトゥイッケナムに乗り込む(Getty Images)
■相手を分析し尽くし弱点を突く、効果的なサインプレーのアイディア−−それはシュミットの一面でしかない。
 アイルランドに9年ぶり3回目のシックスネーションズ・グランドスラム優勝をもたらした、ジョー・シュミット監督(ヘッドコーチ)への、世界ナンバーワン・コーチという評価は一段と高まった感がある。
 ということで、今月はジョー・シュミット監督の研究がテーマである。実は3月末発売の『ラグビーマガジン』5月号の海外ラグビーコラム『TRYLINE』にも、拙稿の、アイルランド元主将のブライアン・オドリスコルが語る、ジョー・シュミット監督の素顔、という内容で執筆しているが、両者の内容はまったく重なっていないので、興味のある方はそちらも。
 さて、ジョー・シュミットといえば、労を惜しまず相手チームを丸裸にする分析作業とその能力の高さで知られている。
 土曜の試合を、日曜に分析・ビデオ編集し、有名な月曜朝のビデオ・ミーティングが開始となる。そこでは、鋭い指摘と質問が待っていて、正解を答えるために、プレーヤーも頭をフル回転してこれに備える。
 シュミット監督が情熱を傾けて相手を分析する手法は、どうやら、NZの高校でラグビーコーチをスタートさせた当初から始められているようなのだ。
 興味深い記事が、2015年3月13日付のロンドンの『ガーディアン紙』電子版の、アンディ・ブル(Andy Byll)主任スポーツ記者の記事に載っている。そこには、ジョー・シュミットをラグビーコーチへと導いた、NZのパーマストン・ノース男子高(PNBHS)の校長だったデイヴ・シムズが語る、シュミット・コーチ誕生のいきさつが語られていた。
 それによれば、ある日、面接にきたシュミットをシムズ校長が気に入り、学校のスポーツクラブを手助けするという条件で、彼を英語教師に採用したのだった。痩せた英語教師は、バスケットボールチームのヘルプを希望するも、強面の校長の要望であるラグビークラブのヘルプ依頼を断れるわけがなかった。この偶然の切っ掛けが、将来の名コーチ誕生の原点になったのである。
 シムズ校長によれば、シュミットはとても賢く、細部へのこだわりが半端でなかったという。今に至るシュミット独特のやり方、週末の試合を分析して月曜日の朝にビデオを使って審問する手法は、このパーマストンノースで始められたのだった。毎試合ビデオを撮って、編集するのは日曜日の夕方の学校。そして、月曜日にメンバーに映像を見せていた、とシムズ校長は振り返る。
 白板にびっしり書き込まれた、シュミット独創の作戦、それはコーチ書から引っ張ってきた知識とは違うものだった。「知恵があってもそれを人に伝える能力に欠けている人がいますよね。その点、ジョーは優れた伝達能力を持っていた」、とシムズ校長。
 シュミット自身は、州代表選手権(NPC)のマナワツ代表のWTBとして、1988年9月にはワイカト代表のHOウォーレン・ガットランドと対戦している。
 翌1989年4月29日に行なわれた、フランス代表とマナワツの試合のなかで、当時23歳の小柄な快足左WTBジョー・シュミットが、プレーヤーとしていかに非凡だったのかを解説した映像がある(*1)。攻守ともに気の利いたプレーをするシーンを見ると、なるほど、そういう人だったのかと納得する。この試合の彼のトイメン、ワールドクラスのジャン=バティスト・ラフォンを2度抜き去り、1トライを挙げているのだ。
 シュミットが24歳となった多分1989年の季節は北半球の秋頃、妻のケリーとふたりで、1年間を海外で過ごすことを決め、アイルランドのレンスター地域。ダブリンから西へ80キロあるマリンガーという小村へ向かう。
 ここでのシュミットの活躍ぶりは以前から詳しく紹介されているけれど、シュミットはSOとしてマリンガーの地元クラブでプレーし、選手兼コーチとして彼流のやり方を取り入れるように説き伏せた。試合前夜に酒を飲みに外出することをやめさせ、ロッカールームの禁煙も実施させている。
 マリンガーに滞在中、シュミットがラグビーコーチとして大きな手応えをつかむ出来事があった。そこで彼はウィルソンズ医学校チームをコーチしたのだが、シュミット流メソッドで、古くさい組織には知性と個人の責任がもたらされた。NZの英語教師が皆に強調したことは、ラグビーを始めた頃のプレーする興奮、楽しさを思い出すようにということだった。
 そして、そのシーズンにウィルソンズ医学校は、初めてレンスター地域のスクールカップAの決勝へ進出し、そこで華々しく5トライを奪って優勝したのである。何かをつかんだ、シュミットはこのとき確信した。
 NZに帰国してほどなく、アキレス腱を断裂したシュミットは、選手をあきらめ、コーチに専念する。英語教師として副主任を務めつつ、パーマストン・ノースBHSから、ネイピアBH高、そしてタウランガBH高へ移ってコーチしている。
 2000年には未来のオールブラックス、ジョー・ロコゾコやルーク・マカリスターのいたNZ高校代表のアシスタントコーチとなった。この後、彼はフルタイムのプロコーチの道に進むことを決断し、NPCベイオブプレンティー(BOP)のヘッドコーチをしていたヴァーン・コッターの下で、アシスタントコーチを務めることになる。ふたりのコンビはフランスのクレルモン・オーヴェルニュを優勝させた2010年初夏まで続くことになる。
 プロコーチへ転向する前、シュミットはパーマストンノース高の校長だったシムズに相談している。
「ユースレベルで素晴らしい実績を残してきた大勢のコーチが、大人のゲームに移ってからは結果が残せないという例は数多くある」ということをシムズが語っている。
「あのときジョーは自信をなくしていた。何度も、自分がやれると思うか、と私に尋ねていたよ」。自分はいつもこう答えた、「もちろんさ、お前なら絶対にできる」と。
 ついでながら、この話で、NZでも高校生の名コーチが、シニア(大人)のチームのコーチに転向したあと結果が出ない例は珍しくないことを知った。
 シムズが請け合ったとおり、シュミットがアシスタント・コーチを務めるBOPは、2004年にチームの歴史上で、ただ一度だけ『ランファリーシールド(RS)』獲得の快挙を実現している。
 RSチャレンジ試合というのは、通常州代表選手権試合のなかの6試合ほどを指定して行なわれる。RS盾を保持するチームがいわばボクシングのタイトルマッチのチャンピオンに相当し、挑戦者となる他の州代表チームが、盾の奪取を狙うシステムだ。盾を保持するチームは試合の入場料を総取り出来るため、州協会の財政を潤す。弱い挑戦者ばかり選んでいては観客が入らず、競技場を満員にできる強豪とも試合を組むことになり、人気が高い。
 現在トップレフリーとしてテストマッチを担当するグレン・ジャクソンは、RSを奪取した2004年のBOPチームのSOである。彼のシュミット評は、「チャンピオン級の凄いヤツで、とてつもなく聡明だった。正しい基本に、良くできたバックスのムーブ、あんな器の大きなコーチは滅多にいないね」。
 その後、スーパーラグビーのブルーズのアシスタントコーチを経て、2007年には、ヴァーン・コッアーのアシスタントコーチに戻り、クレルモン・オーヴェルニュ入りのためフランスへ渡った。
 シムズ校長は、「ジョーの熱狂的な取り組みはひとえに妻のケリーの貢献に負っている」という。「彼女は並外れたサポートをしている。彼女の助けなしに決してやれることじゃない」
 一家がフランスに居たとき。4人の子どもの年少のひとりに腫瘍がみつかり、除去手術を受けている。ところがそれ以後、てんかんの発作が出るようになったことから、シュミットは病気のことを正しく知ってもらう活動や、さまざまなチャリティー活動をおこなっている。
 2010年からシュミットが監督を務めたレンスターのWTB/FBのシェーン・ホーガンの監督評である。
「打ち解けやすいというか、生活上のストレスを解決してくれるような、さまざまな知識を持っている。情け深い人だ。人生はラグビーのパフォーマンスだけがすべてじゃない、他にもいろいろあることを分かってる人だ」
 そしてシュミットがレンスターで最初にやった取り組みについてこう話した。
「とてもあたたかな人で、すごくチャーミングというべきかな。彼に言われたのは、一人ひとりすべての人と握手しろということだ。それも毎日毎日。これは警戒心を取り除こうということかな。確かに、短時間で壁が消えたよ。それこそジョーがチームにもたらしたキーだったんだ」
 相手を分析し弱点を突く、効果的なサインプレーのアイディアはシュミットの一面でしかない。レンスターではパスのビデオを見せて、練習では基本のパス練習を徹底的に鍛え、レンスターにヨーロッパ随一のパス巧者との評価をもたらしている。
 シュミット監督の半生は、シムズ校長によれば、「NZの小さな町のつつましい環境に生まれた、控えめな人物の素晴らしい物語だ」、ということになる。
 ジョー・シュミットは最近の『アイリッシュ・タイムズ紙』のインタビューのなかで、2019年W杯後に、母国のNZへ帰ることをほのめかしている。ポスト・スティーヴ・ハンセン監督、2023年W杯に出場するとき、オールブラックスの監督はウォーレン・ガットランドなのか、それともジョー・シュミットになっているだろうか。
【筆者プロフィール】
小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)
ラグビージャーナリスト。1949(昭和24)年、東京生まれ。立教大卒。貿易商社勤務を経て画家に。現在、Jスポーツのラグビー放送コメンテーターも務める。幼少時より様々なスポーツの観戦に親しむ。自らは陸上競技に励む一方で、昭和20年代からラグビー観戦に情熱を注ぐ。国際ラグビーに対する並々ならぬ探究心で、造詣と愛情深いコラムを執筆。スティーブ小林の名で、世界に広く知られている。ラグビーマガジン誌では『トライライン』を連載中。著書に『世界ラグビー基礎知識』(ベースボール・マガジン社)がある。

元教師の経歴を持つジョー・シュミットはNZ出身の52歳。
アイルランド代表監督は2013年から(Getty Images)

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