コラム 2018.02.08

創部90年から先へ 新日鉄住金八幡

創部90年から先へ 新日鉄住金八幡
釜石シーウェイブス陣に攻め込む新日鉄住金八幡。(撮影:森田博志)
 新日鉄住金八幡というチームがある。
 昨年、創部90年を迎えた。
 その記念として2月3日、釜石シーウェイブスと25分ハーフの試合をする。
 結果は5−24。前半5−5と健闘する。16分にはラインアウトモールでトライを奪う。
 この一戦は、世界2位を誇る鉄鋼会社の7拠点が2年ごとに集まる『全社大会』の中心になった。グラウンドは北九州市立鞘ヶ谷競技場。八幡のホームである。
 八幡は現在、トップキュウシュウAに所属する。トップリーグから数えれば3部。今季は5チーム中4位だった。
 一方の釜石はトップチャレンジ。八幡より上位リーグで8チーム中7位だった。
 八幡主将の内田涼は力上位とのメモリアルマッチに手ごたえを感じる。
「負けたけれど、僕たちがもっと努力をすれば、トップチャレンジにいけるんじゃないか、ということを感じさせてもらえました」
 内田は佐賀工から帝京大に進んだ。NECに5年在籍して、地元の九州に戻る。31歳のSOは協力会社の1つ、新日本熱学で働く。
 新日鉄住金八幡の歴史を記した本がある。
『八幡製鐵ラグビー部70年史』
 21年前の1997年に刊行された。
 スポーツライター・藤島大は「鉄を食べた男たち」というテーマで寄稿する。
<鉄は国家。八幡製鐵ラグビー部は、その言葉の本当の意味での時代を駆け抜け、楕円球の王国を築き上げた。釜石も強かった。神戸製鋼もたいしたものだ。けれど、鉄がそのまま国家である時代の最先端を走れたのは八幡のラグビーマンだけだ。鉄はすなわち国家。そして、ラグビーは八幡製鐵だった>
 新日鉄住金八幡は由緒がある。
 官営(国営)の八幡製鉄所の初稼働は1901年(明治34)。日露開戦の3年前である。
 その社史は、明治の御代になり、欧米諸国に伍し、敗戦を迎え、戦後復興から高度成長を遂げたこの国の歴史に寄りそう。
 ラグビーの創部は1927年(昭和2)。トップリーグ最古の神戸製鋼より、1年早い。
 全国社会人大会(トップリーグの前身)では4連覇を含む12回の優勝。大学と日本一を争うNHK杯2回、それを発展させた日本選手権1回を制した。そのオレンジと紺の段柄ジャージーは今も変わらない。
 輩出した日本代表は23人を数える。
 驚異的な速さを持ったWTB宮井国夫、プロレスラー『グレート草津』となるLO草津正武、外国人のラインアウトジャンプのお手本となったLO寺井敏雄らがいた。
 社会人の頂点に初めて立ったのは1950年度の第3回大会。1950年から60年中ごろまで、ラグビーと言えば八幡だった。
 その八幡にとって代わったのは、この日、対戦した釜石である。
 1970年、2社が合併して新日鉄が作られ、身内になる。力は西から東へ動く。釜石は1978年度の第31回社会人大会、第16回日本選手権の2冠を口火に7連覇を達成する。
 その後、同業他社の神戸製鋼が平尾誠二や大八木淳史などを獲得し、強化に専心。1988年度から釜石と並ぶ7連覇を成し遂げた。
 現在は、サントリー、パナソニック、ヤマハ発動機などが覇権を争う。
 ただ、初期に日本のラグビーをけん引したのは、まぎれもなく八幡だった。
 藤島は筆者としてそこに尊敬を送る。
 釜石は記念試合に向け、岩手・花巻空港から1日1便の飛行機で福岡に入った。2泊3日の旅である。クラブ化されたチームを率いて来たのはGMの桜庭吉彦だった。
「八幡のディフェンスはよかったですね。我々の現役時代に特徴だったひたむきさは変わっていません」
 新日鉄釜石時代、LOとして日本代表キャップ43を獲得した50歳は印象を答える。
 試合には、九州ラグビー協会会長の森重隆、新日鉄住金社長で日本ラグビー協会評議員の進藤孝生も姿を見せた。
 CTBとして日本代表キャップ27を持つ森は釜石の7連覇を支えた。進藤は秋田高、一橋大でラグビー部だった。八幡では人事係長として、当時、同志社大LOだった大八木の勧誘に加わったりもした。
 四捨五入すれば古希になる2人は、降雪後の極寒にも関わらず、屋外で観戦する。
 進藤は話した。
「基本プレーを確実にできるように努力をすることと、常にチームワークを持ってほしい」
 八幡は1962年、オーストラリアとニュージーランドに遠征した。戦ったACTはスーパーラグビー・ブランビーズの源。テムズバレーやカウンティーズは州代表。南半球のトップからも一目置かれていた。
 内田は言った。
「過去、先輩方が単独チームで遠征したことは知っています。我々ももう一度、栄光を取り戻せるようにしていきたいです」
 歴史の流れの中で、八幡は51人いる部員の多くが協力会社に籍を置く。現在の全体練習は週3回でそれぞれ2時間程度。あとは個人練習。その資本投下もスター選手の数も先人の時代とは大きくかけ離れている。
 それでもチームは存在し続けている。
 強さを取り戻すのは不可能ではない。
(文:鎮 勝也)

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新日鉄住金八幡は前半15分、モールからトライを挙げる。(撮影:森田博志)

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試合後の懇親会であいさつをする新日鉄住金八幡の進藤孝生社長。(撮影:森田博志)

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