コラム
2018.02.03
【成見宏樹 コラム】 花園の背中。受け入れる力。(2)
■年代が違っても、男子でも女子でも、選手でもマネジメントでも。みんなでボールを追える場と人の輪がそこにできればいい
写真は、花園3回戦の終了間際の光景(東福岡101-5郡山北工)。トライだけで15本、取られたあとの郡山北工が、インジャリータイムに粘りに粘って、PR伊東秀が1トライを挙げた直後のシーンだ。
郡山北工には大会前に学校取材にもお邪魔したので、どんなチームか知っている、つもりだった。右側に映っているのは3年・マネージャーの太田さん。高校生がやっとの思いでもぎ取ったトライ。その直後の喜びの輪に、女子が入っている写真を初めて見た。
このときたまたまフレームに入った太田さんはもちろん、同じ3年生マネージャーの森中さん、鴫原さん、遠藤さんたちが、部員からチームメートとして認められていることが分かる。「よくやった!」と選手たちを褒めているようにも見える。マネージャーはどんな気持ちで選手たちを見守ったのか。花園まで、どんなふうに伴走してきたのか。
後日、電話で監督の小野先生に話をきき、マネージャーのうち太田さん、そして森中さんとも話す機会を得た。
太田さんたちの代は新人時代、一つ上の先輩にマネージャーがいなかった。2年ではそれぞれの分野でリーダーになり、引き継いだ仕事に自分たちなりの工夫を加えていった。3年になると仕切り役も2回り目。小野先生は、部員を幾つかのグループに分けて、マネージャーを担当につけて、彼らの体調管理を任せた。小野先生いわく、助かりました――。
「ちょっとしたケガとか、実は今日のどが痛いんだとか。生徒(選手)は、そういうことをいちいち監督には言ってきませんね。それをマネージャーに託したら、ノートをつけて把握するようになった。頼んだことよりも踏み込んだ仕事を自分たちでやる。やり過ぎて選手が過保護にならないか、と私がセーブするくらいでした」
学校でも、母か姉かのように選手の尻を叩く姿は、機敏に働く牧羊犬のよう。そして選手に対する口調が結構、厳しい。マネージャーと言うとどうしてもお姫様のような立ち位置を想像してしまうのだが(世代か)、彼女たちには実務があり、存在感があった。
4人の3年生のうち、2人はラグビープレーヤーでもあった。バレーボール出身の太田さんは高校でプレー開始。森中さんは幼いころにラグビー経験があり、高2の時に太田さんを誘ってプレーを再開した。2人は高2、高3とボールを追い、国体予選に出場。森中さんは郡山少年ラグビースクール出身だ。
「小学生のラグビーと高校のラグビーはやはり全然違います。マネージャーの仕事では試合のビデオを録るのですが、プレーが少しは予測できるので、(カメラを)ズームするところなど、役に立つこともあります」。下級生のプレーを見ていると「こうしたらどうかな」と声をかけたくなることもあるという。「いえ、口には出しません」
姉御肌の太田さんは、もう一つ重要な役割を負っていた。それが、公式戦のキックティー係だ。
プレースキック時にボールを立てる器具を、キックのたびに渡しにいく役目。1年生時から県内の大会では、ティー係としてフィールドに立ってきた。
「1年生の時にたまたまティー係になった試合で、3年生のヨシナリさんが10本中10本、ゴールを決めたんです。それ以来、ティーは私が持っていくことに。去年(2年時)、ティー係として初めて花園でグラウンドに入りました。入りましたけど、トライがなかったので…。渡しに行く機会がなかったんですよ。今年は、たくさんあってよかった」
東福岡戦では一転、15回も自陣ゴールへ戻って、選手を励ますシャトルランが続いた。
「選手のやりとりを聞いていて、全然、意識は切れていなかったので、なんとかまず1本返せるといいなと」
そしてインジャリータイム。予選決勝で、土佐塾との同点劇で、いずれも切り札となった得意のFW戦で粘ってのトライが決まった。冒頭の写真のシーンだ。
選手達とどんな言葉を交わしたのか、太田さんはよく覚えていない。
「私達がプレーを終えてマネージャーに専念した夏ごろからは、昨年以上にハードなスケジュールでした。できることは全部やったと思う。それが返ってきてよかった」(太田さん)
同校として花園初トライ(1回戦)、初勝利、初の2回戦、初の3回戦進出。福島県勢としては21年ぶりの16強を勝ち取った大会が終わった。
郡山に戻った小野監督は、また福島県の先生方と一緒に、危機感と向き合う日々を過ごしている。現2年生が戦う新人戦では、各校の部員不足が深刻だ。エントリー8校中、単独校は郡山北工を含む5校だけ。今回の花園予選決勝で対戦した伝統校の磐城でさえも、1,2年生だけでは15人が揃わない。
郡山北工では、平日の高校の練習にラグビースクールの中学生を受け入れるなど、プレーを続けたい子のサポートも行ってきた。練習生には、「北工」でそのままプレーする子も、他の高校へ進学する子もいる。それでいい。小野先生の頭や胸にあるのは県全体のレベルアップ。安全の確保を前提に、年代が違っても、男子でも女子でも、選手でもマネジメントでも、みんなでボールを追える場と人の輪がそこにできればいいと考えている。
「僕自身が、ラグビーのメインの流れとは違うところから受け入れてもらっているんです」と小野先生。福島大ラグビー部出身の数学教諭である先生は、いわゆる強豪大学出身の監督たちとの間に、競技経験のレベル差を感じながら指導してきたという。
「それでも、胸を貸してくださった宮城県の先生、奈良の先生、新潟の先生方、栃木、東京も。みなさん、親切で。申し訳ないくらい力の差がある時から、一緒に練習に交ぜてくださって、自分のとこの生徒のように細かく教えてくれるんですよ。ライバル同士ですが、県内でもお互い情報交換して、切磋琢磨しています」
「ラグビーは、垣根がない。それがいまでも有難い」(小野先生)
ボールより前の味方は全員オフサイド!−−の、ちょっと変わったルール。
「スネ蹴ってなんぼ」がルーツの激しいゲーム。
それでいてフィールドには、いい空気がめぐっている。敵味方も超えて大らかな風が吹く。
それは、境界の外、中にあまり区別をつけない気分が、ラグビーの人たちに残っているからではないか。
心を決めてタッチのこちら側へ飛び込んでくるいろんな人を、受け入れ仲間にする力、それを力に変える力があるからではないか。
小さな日本の、フィールド三つがぎゅっと集まった花園ラグビー場には、実にいろんな違った人がいて、豊かな瞬間をともにして仲間になっていた。今年もあっという間に通り過ぎてもう背中も見えない。(全2回おわり)
【筆者プロフィール】
成見宏樹(なるみ・ひろき)
1972年生まれ。筑波大学体育専門学群卒業後、1995年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務、週刊サッカーマガジン編集部勤務、ラグビーマガジン編集部勤務(8年ぶり2回目)、ソフトテニスマガジン編集長を経て、2017年からラグビーマガジン編集部(4年ぶり3回目)、編集次長。