コラム 2018.01.04

「やることは変わらない」。8強敗退の報徳学園・泉光太郎コーチ

「やることは変わらない」。8強敗退の報徳学園・泉光太郎コーチ
報徳学園の泉光太郎コーチ。髪とヒゲは「げんかつぎ。勝ったら短くして剃ります」
 報徳学園はシード校を連破する。
 御所実、中部大春日丘に勝ち(22−17、12−7)、ノーシードながら第97回全国大会で8強に進んだ。
 54歳の監督・西條裕朗は殊勲者を挙げる。
「コータローがいてくれへんかったら、ウチのチームはまわっていきませんわ」
 泉光太郎。
 花園出場43回チームでコーチをつとめる。
 泉は42歳。練習、メンバー選考、リクルート、OB会ホームページの管理までこなし、社会科教諭でもある西條をサポートする。
「しんどいですよ。でも、西條先生は自由にさせてくれています。メンバー表も僕が書いたものは99パーセント拒否されません」
 2人の報徳OBには信頼関係がある。
 泉は2008年4月、コーチになった。
「ちょうど僕が副校長になった時でねえ、校務が忙しくてなかなかチームを見られへんかったから、戻って来てもらいました」
 そう話す西條とともに10シーズンをくぐり抜けた。その間、全国大会出場7回。8強入りは3回(第93、94、97回大会)を数える。それまで55年の部史で8強2回、4強1回の戦績を考えれば、呼び戻しは成功する。
 重ねた年月だけ、教え子は増えていく。
 1月2日、第54回大学選手権準決勝を戦った明治大の先発には両FLの前田剛と井上遼、CTB梶村祐介、WTB山村知也が名を連ねた。
「4人も出てくれて、うれしいですね」
 泉も現役時代、紫紺に袖を通した。それだけに、大東文化大からの勝利(43−21)、19大会ぶりの決勝進出に一層声が弾む。
 泉は報徳学園中から高校にエスカレーター式に入学。友人の誘いで楕円球を追う。
 当時の監督は前田豊彦。入部間もない5月、練習で鎖骨を折る。手術のための1週間の入院中、忘れられない経験をする。
「前田先生が毎日、お昼にお見舞いに来てくれました。毎回、アイスクリームやジュースを持ってね。10分くらい話をして帰りはるんやけど、最後の言葉は決まっていました」
 報徳ラグビーの中興の祖は言った。
「やめたらあかんよ。続けたらいいことがあるからね」
 その秋、前田はがんに倒れる。71回全国大会(1991年度)は、黒のワゴン車で花園のグラウンドに入る。終末での指揮はラグビーを愛した男子にとって本懐だったに違いない。
「僕自身も振り返ってみると、いい人生を歩ませてもらっていると感じます」
 報徳学園ではLOとして2年からレギュラー。明治大では2年から公式戦に出る。
 3年の1996年5月、監督の北島忠治が95歳で大往生を遂げた。
「北島先生はもうほとんど練習には出てきませんでした。でも来るとOBの方々が『オヤジ』って取り囲み、歩く先のスクイズボトルをどけたりしていました。気遣いっていうのはこういうもんなんだなと学びました」
 高校、大学時代は2人の偉大な指導者に師事する幸運を持つ。就職は日本国土開発。1年で会社更生法の適用に向け、クラブが消滅する。移籍したカネカは4年で廃部。現在はクラブ化したワールドにも2年籍を置いた。
 現役引退後、コーチのおもしろさを教えてくれたのは最初に携わった御影工だった。
「僕の周囲でラグビーをやってきた人は比較的裕福でした。ところがここは違った。ボロボロのスパイクを履いたり、先輩にもらった古いヘッドキャップをかぶっていた子らがいました。そんな中でもラグビーを続ける姿を見て、勝たせてやりたい、と思いました」
 3チームを渡り歩いた苦労は、多種多様な高校生とつながる助けになる。
 御影工の2年生以下は神戸工と統合された神戸科学技術に属していた。18人の御影工3年生は現校名での出場にこだわった。
「最初は週1の約束だったのに、毎日顔を出すようになりました。結局、最後の全国大会予選はベスト8まで行きました。当時の子らとは今でも飲みに行ったりしています」
 泉は前田の「続けるといいことがある」という言葉をかみしめる。
 その後、高校は市立尼崎、大学は摂南、大阪産業などで見て、母校に帰った。
 泉の指導教本は、他チームの試合だ。
「ホテルでも時間があれば、ずーっとラグビーを見ています。まったく飽きません。攻め方や守り方を参考にして、練習を考えます」
 他競技からも学ぶ。プロ野球は名球会の野村克也、落合博満、サッカーは日本代表元監督のイビチャ・オシムらの著書を読む。
「高校生には、言葉を変えると伝わりやすい。そのためボキャブラリーをたくさん持っていないといけません。読書はそれを助けます」
 主将のCTB江藤良は泉の人柄を話す。
「僕たちのことを一番に考えてくれる人です」
 夏の練習試合では、全国大会で勝った春日丘に大敗する。主将としてのスタイルに悩む江藤は泉に言われる。
「おまえはおまえの思った通りにやればええんや。理想像を追いかける必要はないんよ」
 激しいタックルとタテ突破。江藤は自分のプレーに専心する。体でのけん引にチームはまとまりを取り戻す。
「ここまで来れたのは泉さんのお蔭です」
 1月3日の準々決勝は東海大仰星に20−50で敗れた。江藤は足首を痛めていた。前に出るディフェンスは、要の負傷で不発に終わり、仰星のパス攻撃を許す。勝てば20大会ぶり2回目だった4強入りは消滅した。
 それでも泉に落胆はない。
「これからもやることは変わりません。走り回るラグビーを磨くだけです。そして、報徳でやりたい、という中学生を1人でも増やしていきたいですね」
 恩師の前田に教えられたラグビーのよさを伝えながら、臙脂と黒のジャージーを栄冠に近づける努力を続けていく。
(文:鎮 勝也)

PICK UP