国内 2017.07.21

表舞台から裏方へ。松園正隆、22年目のサニックス愛。

表舞台から裏方へ。松園正隆、22年目のサニックス愛。
ブルースの松園正隆サブマネージャー。6月の宮崎合宿にて(撮影:多羅正崇)
 宗像サニックスブルースの新しいサブマネージャーは43歳だ。
「4月から始めたので、いまは必死です。分からないことばかりなので、そこが大変ですね」
 チームのレジェンドから裏方へ。
 21年間にわたるサニックスひと筋の選手生活を終えた松園正隆が、サブマネージャーとして新しい日々を歩み始めている。
 昨年冬、43歳の誕生日を迎えた2日後だった。
 2016年12月18日、宮崎県総合運動公園陸上競技場でおこなわれたNTTコミュニケーションズとのトップリーグ第12節で、PR/HO松園は後半30分から途中出場。43歳2日のトップリーグ最年長出場記録をマークした。元東芝のFB松田努が保持していた41歳9か月5日を1年以上更新する偉業だった。
「怪我人が出てしまったので、その関係で自分にもチャンスが回ってきました。(スクラムは)いつもの感じで組めました」
 
 佐賀工業高校から日本体育大学を経て、1996年、西日本社会人Bリーグに所属していた創部3年目のサニックスに入部。以来、九州の地でチームの成長と共に歩んできたが、2016年のシーズン終了後に決断の時を迎えた。
「年齢も年齢だし、次のことも考えておかなければいけないので。毎年チームと面談するんですが、その時に『もういいかな』と」
 その松園には秘めたる想いがあった。
「引退する時に、せっかくこんなにお世話になっているチームなので、ちょっとずつでも何かを返していけたらと思って、『チームに関わりたい』ということを話しました」
 その決断には、高校グレードの世界大会「サニックス ワールドラグビーユース交流大会」を開催するなど、ラグビーを愛した株式会社サニックス前代表取締役社長の宗政伸一氏の死去(1月7日、享年67)も影響しているという。
「ここまで育ててもらった、と言ってもおかしくない存在なので。そういうこともあって、チームに返せるものがあればと思って」
 そこでサニックスを率いる藤井雄一郎監督から提案されたポスト。それが、サブマネージャーだった。
 給水ボトルに水を汲む。グラウンドにゴミが落ちていれば拾う。遠征先ではバンに練習道具を積み込み、練習グラウンドと宿泊先を往復する。時にはチームの会議にも出る。
 21年間もチームにいたのに「分からないことばかり」と松園は笑う。それでもチームに関われていることに喜びを感じる。
 チーム22年目は、裏方としての参加になった43歳へ訊ねた。
 あなたにとってサニックスとは?
「今ではなくてはならない存在ですね。人生の半分、ここにいますからね」
 最後にもうひとつ質問。
 スクラムの練習を見ていると、つい口を出したくなりませんか?
「それはもう、見ないようにしています」 
(文:多羅正崇)

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