コラム 2017.06.27

トモ、代表から戻る

トモ、代表から戻る
約1年8か月ぶりに桜のジャージーを着たトンプソン ルーク(撮影:松本かおり)
 トモは「時の人」になった。
 そして、東京から大阪に戻って来た。
 6月25日は日曜日だった。アイルランドとのテストマッチ第2戦の翌日である。
 夕方、花園にママチャリで現れる。前と後ろの子ども用シートには、長男のヘンリーと長女のマヤを乗せていた。
 トモことトンプソン ルークは闘士からダディーに戻る。
 属する近鉄ライナーズの練習場では新人をもてなすBBQが続いている。
 始まりから4時間が経っていた。人はまばらながらも、新旧のキャプテン、樫本敦、豊田大樹が歩み寄り、ねぎらいの言葉をかける。
 37歳とトモより1つ年上の重光泰昌は、2人だけでスマホの自撮りする。
 チームメイトは誇らしげだった。
「自分の仕事は頑張ったね。悪くはなかった。でも、チームは負けてしまいました。それは残念ね」
 13−35となった一戦に左LOで先発する。
 最後に代表ゲームに出たのは、2015年10月11日。ワールドカップ最終戦のアメリカ戦。622日ぶりにピッチに立つ。
 前半3分、ハーフウエイ付近でPRジョン・ライアンが突っ込んで来る。
 196センチの体を折るようにして、ライアンの腰にぶちかましをかける。「ぼこっ」と鈍い音がしそうなコンタクト。117キロは吹っ飛ぶ。ボールは緑から紅白に渡る。
「僕の仕事はタックル。あのターンオーバーは悪くはなかったけど、トライを取られてしまった。残念だったね」
 奪取した後のパスに乱れが生じ、CTBギャリー・リングローズの先制トライを許す。
 しかし、トモは健在だった。36歳であるのに80分間グラウンドに立ち続けた。
「ちょっとびっくりね」
 昨シーズンのトップリーグ、入替戦を含め16試合中15試合に先発する。途中交代はない。持ち味の1つであるラグビーフィットネスの高さを国際試合でも変わらず見せる。
 積み上げたキャップ数は64。試合後のジャージー交換は、同じ4番をつけたキーラン・トレッドウェルとする。
 トモは代表を2015年に引退した。『日本ラグビーの歴史を変えた桜の戦士たち』(実業之日本社)では理由が語られる。
<次のワールドカップの時には38歳になっている。プレーヤーとしてはおじいちゃんだ。私は、もうこのあたりで若い人たちに道を譲るべきだと思った。それに大会までの8か月はジャパンの合宿などで家を空けることが多く、妻をサポートしてあげられなかった。これからは妻へのねぎらいも含め、家族で過ごす時間を大切にしたい>
 ところが、携帯電話が鳴る。
 22−50と敗北したアイルランドとの第1テストマッチのあとだった。
 ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフの声が聞こえ、チーム合流を懇請される。
 妻・ネリッサと顔を見合わせる。
「1試合だけなら」
 出した答えだった。
「その前にキンちゃんとメールしたね。『足を痛めた』、『大丈夫ですか?』っていう感じ」
 招集の予感はあった。
 キンちゃんこと大野均(東芝)だけではない。LOがケガなどで大量離脱する。
 梶川喬介(東芝)、小瀧尚弘(東芝)、真壁伸弥(サントリー)、宇佐美和彦(パナソニック)、アニセ サムエラ(キヤノン)…。ワールドカップ3大会に連続で出たトモに声がかかったのは必然だった。
「ジェイミーと一緒に代表のビデオを見て、いろいろ教えてもらいました。だからサインプレーなんかも問題なかったね」
 上京は生後間もない乳児を含む家族5人でする。代表と同じ都内のホテルに泊まる。アフター・マッチ・ファンクションの後、部屋に戻ったら子どもたちは寝ていた。
「それで、少しだけお酒を飲みました。トニー・ブラウン、リーチ マイケルとね」
 同じニュージーランド出身のコーチとゲームキャプテンとキウイ・イングリッシュを使いながらの一杯は、結果は別にして、大役を果たしてほっとした気持ちにさせた。
 疲れはない。
 子ども2人を連れてチームパーティーに顔を出したのは、妻の負担を減らす意味もあった。
「僕は1週間、いなかったからね」
 娘と息子は芝生の上を駆け回る。
 義理堅さや優しさにも変わりはない。
「ジェイミーにジャパンに呼んでもらって、いい勉強になりました。今年のシーズンは楽しみね」
 トップリーグは8月18日に開幕する。トモにとっては、近鉄での12年目シーズンに、代表戦出場によって弾みがついた。
 それは、昨年度13位からの巻き返しを図るチームにとって心強いことでもある。
(文:鎮 勝也)

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