海外
2017.03.07
彼はいつも笑う。スーパーラグビーデビュー目指す、小倉順平の光の源とは。
シンガポール・ナショナルスタジアムは、観客席の最前列とグラウンドの高さがほぼ同じだ。
試合が終われば、前の方に座っていたサンウルブズの控え選手6名が芝へ降りる。プレーしていた23選手のストレッチを手伝いながら、雑談を交わす。
3月4日、国際リーグであるスーパーラグビーの第2節があった。日本から参戦して2シーズン目のサンウルブズはキングズに23−37で屈し、開幕2連敗を喫していた。
重いムードになりかねなかったが、その空気をほんの少しだけ変える人がいた。新加入の小倉順平だ。2戦続けてスタンド観戦となった24歳は、同世代の出場選手のもとへ歩み寄る。口角を上げて何やら話す。
相手の表情も崩れたそのやりとりに、生来の気質をにじませた。
同級生の林謙太に誘われ、8歳で八王子ラグビースクールに入った。拓大に所属する林によれば、「スクールの人から『誰か足の速い人を連れてきて』と言われて、同じ小学校で仲のよかった順平を誘いました。僕のなかではプレースタイル、性格はずっと変わらない」とのことだ。
楕円のボールを持っては、自在に駆け回った。このスポーツを仲間と楽しむのが、何より好きだった。八王子ラグビースクールの小学生チーム、中学生チームでは常に司令塔兼主将。周りから見れば「王様」の立ち位置にいたが、当事者の意識は違った。チームにいた運動の苦手な子どものことも、決して邪険にしなかったという。
「ただただ、ラグビーをやっているのが楽しいという集団だったので。細かいことは覚えてないですけど、皆でいるのが楽しかった。そういうもの(考え方)が、いまにつながっている気もします」
神奈川・桐蔭学園高で主将、早大では副将を務め、国内所属先のNTTコムに加わったのは2015年。新入社員のころには、会社の先輩に送るメールに失礼はないかと自身のリクルーター社員に相談したこともあった。マイペースなようで繊細な人が、東南アジアの地で人の緊張をほぐしていたのである。
昨年11月、日本代表の一員として欧州遠征に参加した。テストマッチデビューは叶わなかったものの、代表とリンクするサンウルブズに名を連ねた。ジャパンのジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチから、国際経験を積むべき若手と見られた証拠でもあろう。
身長172センチ、体重83キロ。決して大柄ではないが、防御の隙間をすり抜けるラン、味方も驚くほど意外なスペースへのキックパスなどで魅せる。司令塔のSOとして、論理以上に閃きを大事にする。
バージョンアップの足掛かりは、国際舞台でつかみたい。代表候補になった10月には、国のトップ集団で沸いた向学心をこう明かしていた。
「周りのコールをいかに聞いて、いい判断をするかを学びました。同じポジションの田村優さん(2012年に初代表、サンウルブズには2季連続で加入も現在は離脱中)は、自分に足りないものをいろいろと教えてくれた。どう仕掛けたらもっと良くなるよ、といったことを…」
サンウルブズは長期ロード中だ。4日夜にシンガポールから南アフリカへと渡り、向こう2週間で2つのゲームをおこなう。その後シンガポールへ戻り、1試合をこなす。
キングズ戦用のツアーメンバー29名に入った小倉は、南アフリカ遠征にも帯同している。SOはヘイデン・クリップスと小倉の2人だけとあって、遠征中のデビューの可能性も少なくない。
笑顔のファンタジスタに、チャンスはめぐるだろうか。
(文:向風見也)