国内 2016.08.15

筑波大→パナソニック・山沢拓也。「初陣」後に「抑えられない」と明かす。

筑波大→パナソニック・山沢拓也。「初陣」後に「抑えられない」と明かす。
パナソニックの一員として8月14日の帝京大戦に先発した山沢拓也(撮影:福島宏治)
 筑波大の山沢拓也が、いよいよ、正真正銘のパナソニックの選手として芝を駆ける。8月14日、長野・菅平サニアパークには多くのギャラリーを集める。
 日本最高峰のトップリーグ(TL)で3連覇を果たしたパナソニックへは、4日前に追加登録されたばかり。大学へ通いながらTL出場を目指す初めての選手として、注目されているのだ。
 結局、大学選手権7連覇中の帝京大との練習試合に80分間フル出場を果たす。「いやぁ、長かったです」。司令塔のSOへ入り、計17得点をマーク。計6本のゴールキックを決め、後半9分には「ただ走っただけ」と右タッチライン際へ回り込んでトライを決めた。
 チームは前半こそ21−24とビハインドを背負うも、追い風に乗った後半は敵陣でボールキープする時間を増やした。4分に敵陣ゴール前右でモールを押し切り(28−24)、最後は68−24で勝った。
「前半はミスが多くてピンチになっていたところがあって、ボールをキープしようという話が出た。で、風上だったので自分的には敵陣へ…とも思っていた。名前が出たことで選手としての責任が…というわけではないですけど、しっかりやらなきゃいけないな、と緊張しました」
 4月頃からリハビリなどのため群馬・太田のクラブハウスへ通っており、ここまでは「練習生」の扱いでトレーニングマッチに出場。帝京大戦では初めて登録選手としてプレーしただけに、ただただ、安堵していた。
 前例のない道を歩む。その状況を、当事者はこう笑うのみだ。
「いや、それは特に考えていないです。とりあえず、がんばりたいな、という感じです」
 常に、「上手になりたい」という思考軸を持ち続けた。
 埼玉・深谷高の横田典之監督から「将来の日本代表のSOになれる」と見込まれ、本格的にラグビーを開始。しなやかなラン、パス、キック、守備網を惹きつけるポジショニングを、エディー・ジョーンズ前日本代表ヘッドコーチからも高く評価された。
 それでも当の本人は「(自分の)何が凄いのか、わからない。納得いかないことばかり」と、周囲の期待にやや困惑。他者に凄いと言われる技能より、自分が悔やむ失敗にこそ目を向ける。意味のあるネガティブシンキングを貫き、埼玉北部のグラウンドで黙々と居残り練習を重ねた。
 目標を問われても「日本代表」や「ワールドカップ出場」などと大志を示さなかった。
「目の前のことを1つひとつ、です」
 TL挑戦への動機も、その「上手になりたい」の気持ちの表れだった。
 筑波大1、2年だった2014年、2度も左ひざじん帯の大けがを負う。自身が第一線から遠ざかる一方、同じ大学の1学年先輩の福岡堅樹らが日本代表入り。身動きの取れない山沢は、内なる向上心に火をつけたのだ。
「自分が怪我で何もできていない間に、同世代の選手が上に行っている。自分がそれ(世界でのプレー)をちゃんと目指しているというわけではないんですけど、怪我が長引く分だけ、何もやれていない自分とやれている人たちとの差が開いていくと思った。少しでもそれを埋めたいな、と。まぁ、いっか、で抑えられない。単純に、上手になりたいのが第一にある」
 複数の選択肢からパナソニックを選んだのは、「すごくいい環境。ロビーさんにしろ、バンジー(元オーストラリア代表SOのベリック・バーンズ)にしろ、凄い人がたくさんいる。学んでいきたい」との理由からだ。本来は、TLに挑みながら筑波大のゲームにも出ることを理想としていた。しかし、関係者によれば「最後は二重登録ができないという(日本協会側の)ルールが動かなかった」。新たなチャレンジの始まりは、筑波大でのチャレンジの終焉を意味していた。
 山沢は、筑波大でのプレーを諦めた。
「正直、いままでやれていなかった分、一緒にやりたいという気持ちはあったんですけど…。それよりもこっちでやってみたい気持ちがあったので。申し訳ない、ではないですけど、(筑波大側に)こっちへ来るのを許してくれたことに感謝して、その意味でも、頑張らなきゃいけないな…と」
 バーンズや日本代表HOの堀江翔太主将など、パナソニックにはワールドクラスの面子が揃う。「1つひとつのプレーや考えに触れることが勉強になる。練習前にアップを見ていても…」と喜ぶ山沢は、今季の目標を「試合に出るに越したことはないですけど、いろんな人たちの考えを吸収していきたい」。8月26日、東京・秩父宮ラグビー場。ヤマハとの今季開幕節にその姿はあるか。
(文:向 風見也)

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