海外 2016.05.27

炭鉱労働経て、35歳、対サンウルブズへ。ブランビーズHOマンレーは元九電

炭鉱労働経て、35歳、対サンウルブズへ。ブランビーズHOマンレーは元九電
愛称はボンゴ。九電での3シーズンで実力を蓄えた。(写真/Getty Images)
※写真変更しました
 炭鉱労働を経てチャンスをつかんだ男がいる。
 5月28日、キャンベラにてスーパーラグビーでの12戦目、ブランビーズとの対戦に挑むサンウルブズ。HO堀江翔太主将も先発に復帰し、なんとしても2勝目を手にしたいところだ。しかし、ブランビーズは先日発表された豪州代表スコッドに多くの選手を送り込む。ウインドウマンス(国際試合月間=6月)前の最後の試合は、ビッグチャレンジとなる。
 その豪州フランチャイズの5チームの中でトップを狙う相手チームには、日本のラグビー界と縁の深い男たちがいる。釜石シーウェイブスでのプレー経験があり、東日本大震災時に被災地で支援活動をおこなった豪州代表FLスコット・ファーディーの存在は有名も、ジョシュ・マンレーの存在はあまり知られていない。リザーブに名を連ねているこのHOは、2011-2012シーズンまで3シーズン、九州電力キューデンヴォルテクスでプレーしていた。
 サクセスストーリーは、現地では広く知られている。U19豪州代表に選ばれるなど、若い頃は将来を嘱望される存在だったマンレー。しかし、その後は伸び悩んだ。
 2007年には同年に発足した豪州の国内大会、ナショナル・チャンピオンシップのバリモア・トルネードスでプレーしたものの、そのシーズンが終わるとラグビーを離れた。家族を養うための生活費を得るため、安定した職業に就こうと決心したからだ。
 マンレーはニューサウスウエールズ州のイラワラ地区の炭鉱で働いた。鉱山に道や壁を作る際の施設の屋根にボルトを取り付けるパートタイムの仕事を皮切りに、地中での仕事に2年間就いた。必死に生きた。
 日本から連絡が入ったのは、そんな時だった。当時九州電力でヘッドコーチを務めていたエイドリアン・トンプソンは豪州人。若き日のマンレーを知っていたから、チームに彼の存在を知らせ、「必要な存在」と誘ったのだ。
 ラグビーから離れた生活の中で、まさかプロフェッショナルとしての契約が得られると思っていなかったマンレーは日本に渡る決意をした。そして、文字通り暗闇にいた自分に光りを当ててくれたチームに感謝し、全力で3年を過ごす。他の外国人プレーヤーとの兼ね合いもあり、常時試合に出場するプレーヤーではなかったが、当時のことを知るチーム関係者は、「Bチームでアタック&ディフェンスをやるときも常に全力の姿勢でした。最後のシーズンを終えた後もすぐには帰国せず、次のチャンスをつかみたいから、とチームに残って自主練習を積んでいた姿を思い出します」と話す。
 その思いが通じ、2012年、HOに怪我人が相次いだワラターズから呼ばれてスーパーラグビーデビュー。翌年からはブランビーズと契約を結び、貴重な控え選手としてチームに貢献している。そんな実績を重ね、2014年には33歳にして初めてワラビーズに招集。ここでも怪我人続出という背景があったものの、ザ・ラグビー・チャンピオンシップのアルゼンチン戦とニュージーランド戦で2つのキャップを獲得した。遅咲きの男は、人々に勇気を与えた。
 現在35歳。ピッチに戻るチャンスを与えてくれた国からやって来たチームとの対戦に腕をぶしている。気持ちの入った好漢のファイトにも注目だ。

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