海外 2016.03.03

サンウルブズ・細田佳也。同期・田村優の勇姿見て「あそこに立ちたくなった」

サンウルブズ・細田佳也。同期・田村優の勇姿見て「あそこに立ちたくなった」
充実する細田佳也。「ライオンズ戦は緊張しました」。(撮影/松本かおり)

 失礼ながら、その名をスコッドの中に見つけて驚いた人は少なくないだろう。好プレーヤーだけど、誰もが知るような有名選手ではない。
 サンウルブズのFL細田佳也だ。NECグリーンロケッツに加入して5シーズンが過ぎた中堅。ただ、怪我なく過ごせたシーズンはないから、これまで大きな舞台でスポットライトを浴びることはなかった。
 そんな男がサンウルブズの初戦のメンバーに入り、出場機会も得た。後半28分からの短い時間だったけれど、「ちょっとでも何かしてやろうという気持ちでプレーしました。コンタクトはさすがに強かったけど、ボールキャリーも2回ほどできたし、思っていたよりはやれました」。大きな経験だった。

 192m、100kgの体躯ながら、よく走り、スピード豊か。これまで、セブンズ日本代表に選ばれてワールドシリーズに参戦したことがある。関東代表のメンバーとしてNZUと戦ったことも。しかし、前述のように怪我も多くて好機を逃すことも多かったから『世界』を知る機会は少なかった。
 そんな男が、日本から初めてスーパーラグビーに参戦したサンウルブズに招集されて世界を知り、精鋭揃った仲間から刺激を受けている。
「ジャパンのメンバーの細部へのこだわりなど、勉強になりますね。自分のチームでやっていることと大きく違うとか、知らなかったということはありませんが、サンウルブズでのみんなのコミュニケーションなどを見ていると(自分たちは)漠然としていたな、と感じます。リーダー以外の選手でも自分の意見を口にするし、試合でも日常でも、ひとつ上のランクに触れることができてありがたい」
 明るい表情が充実した日々を物語る。

 小学校3年時に上郷ラグビースクール(長野)で始めたラグビー。高陵中時代も週末は楕円球を追いながら、陸上部に所属した。「いつもイチバンうしろだった」と大柄な体だったけれど走ることが得意なのは、そのため。三種競技(100m走、砲丸投げ、走り高跳び)に取り組み、北信越大会に出たこともある。
「スピードは自分の武器です。(スーパーラグビー初戦の)ライオンズ相手にも通用する手応えはありました」
 飯田高校、日本大学とラグビーを続け、NECに入社した。サンウルブズでもチームメートとなったCTB田村優と同期入社だ。

 少しでも高いレベルでプレーしたい。アスリートとしての自然な欲求は、当然、細田にも以前からあった。その思いがより強く、明確になったのは、昨年のワールドカップのときだ。ジャパンが世界を驚かせる姿、そこで躍動する同期入社の田村を見て、「自分もああいう舞台にいたい。プレーしたい、と強く思ったんです」と話す。
 それを聞いて田村が言う。
「そんなふうに思ってくれたと聞くと、死ぬ思いでやってよかったな、と思いますね」
 ともにプレーしてきて、大型でよく走るその男が頼りになることはよく知っている。
「大きいし、速い。そして、あの体で低いプレーができる。サンウルブズの周囲の選手からも言われますが、戦った相手からも、(細田って)いい選手だよな、と言われることは多いんですよ。これまでは怪我が多かったけど、コンスタントに練習し続けられれば必ず出てくるだけのものを持っていると思う。僕自身も同じで、細田だけでなくすべての選手に言えることですが、覚悟を決めて4年を過ごした先にはそれだけの舞台が待っていると思います」

 大学時代はLOでもプレーしていたが、その体重でFW第2列は…とのチーム判断を受け、社会人になってからはバックローに専念している。入社時は85kgほどしかなかった体重を15kg増やし、怪我がちだった面もトレーニングを重ねて克服の途中。
 サンウルブズでのプレー時間を順調に増やせれば、これまでは進んでは停滞の繰り返しだった進化のスピードも高まりそうだ。スーパーな5か月を過ごした後の姿は、本人も楽しみだ。

PICK UP