コラム
2016.02.05
早稲田摂陵の礎(いしずえ)を築いた親子鷹 廣瀬禮次、壽哉
大阪府の北部、茨木市にある早稲田摂陵高校は、第67回近畿大会府予選(新人戦)でBブロック決勝に進んだ。全国大会予選や春の府高校総体を含め、同校にとっては1990、2012年の新人戦に続き3度目ファイナルだ。
その部をこれまで支えてきたのは親子の体育教員である。
81歳の廣瀬禮次(れいじ)、そして現監督で51歳の長男・壽哉(としや)。
ともに日本体育大学ラグビー部OBである。
禮次は学校としての始祖である大阪繊維工業に1965年、壽哉は校名変更された摂陵に1987年にそれぞれ赴任した。学校は2009年度から早稲田大学の系属高になる。
部の躍進を聞きながら、1935年生まれの禮次は笑顔を浮かべる。
「試合を見には行かんけど、チームのことはいつも気にはしている。大阪のベスト4は強いけど、下で頑張ってはい上がって来てほしいなあ、とずーっと思っているの」
優しい口調は、気性の荒さが特徴だった昔の日体大出とは思えない。
年末年始の全国大会ではメディアのため記録委員を長くつとめ、時には声と人柄のよさで開閉会式など式典のアナウンスも行った。
大学の同期監督は枚方を府内での強豪にした戸田敬一(故人)、2学年下には浪商(現大体大浪商)の久保正道(故人)、目黒(現目黒学院)の梅木恒明(故人)、國學院久我山の中村誠らがいる。
その禮次の背中を見て、壽哉は島本高校でラグビーを始める。島本は日本代表HOの堀江翔太(パナソニック)の母校でもあり、当時も強かった。監督は禮次の日体大1学年上の尾野嵩。壽哉はHOとして高3時の第62回大会府予選で決勝に進出。牧野に12-17で敗れた。そして、日体大に進学する。
「オヤジの姿にあこがれて、教員になろう、と決めたんです。僕は子供の頃、学校の敷地内にあった教員寮に住んでいました。当時は工業系ということもあってやんちゃな生徒が多く、学生寮もありました。彼らが悪さをして謹慎処分になるとオヤジがウチで預かるんですよ。子供心になんてすごい人なんや、と思いました。怒り散らした生徒の面倒をすぐに見るんですから」
大学卒業後は父の学校に赴任する。禮次は当時、摂陵の学内に併設されている通信制の向陽台で教えていた。
「別にうれしくはなかったよ。まあでもウチは私の母親も含めて教員一家だったからね。摂陵の理事長に就職の相談に行ったんだよ。『どこか紹介してもらえませんか?』って。そうしたら、『ここでいいじゃないか』って言って下さったの」
淡々と話すが、表情は崩れる。
壽哉には2歳下の弟・憲吾がいる。サッカー出身の次男は高槻北から京都教育大に進み、現在は茨木市の中学校体育教員だ。
現在、壽哉はグラウンドの指導を早大ラグビー部出身であり、体育教員そしてコーチでもある藤森啓介に一任している。自身は藤森の希望もあって、中学生勧誘や大学進学などチームマネジメントをしている。
「僕もそうやったけど、来た直後に監督だった平郡(へぐり)先生に、『全部任した。若い感性で好きなようにやれ』と言ってもらえました。だから、自分もそうするようにしています」
中京大OBで体育教員の平郡武志は、監督として禮次から壽哉にチームを受け渡す間に存在した。現在は向陽台の教員である。
「たくさんのOBの方や平郡先生、オヤジらが作ってくれたものを次の世代に引き継ぐのが、自分の役目やと思っています」
1962年創部のクラブは今年55年目を迎える。
都立青山監督の諌見雅隆は、壽哉の日体大の1年後輩にあたる。久我山から入学後、同じHOとして常に間近にいた。
「廣瀬さんは学生の時から明るくて、嫌なことをする人じゃなかったよ。面倒見がものすごくいいから後輩が集まるんだ」
現在1、2年生で41人の部員数都立ナンバー1を誇る青山は、昨年度、全国大会都予選で第2地区8強に進出した。3年前から年末に全国大会観戦を含めた大阪遠征をしている。
12月29日には壽哉の招きで早稲田摂陵に行き、試合をする。
「年末の忙しい時期にウチを呼んでくれるんだよ。すごいなあ、と思う。行ったら、『また来年も空けとくから』って言ってくれるんだ。本当にありがたい先輩だよ」
昨年末には沖縄・コザも参加した。全国大会1回戦で山梨・日川に19-38で敗れた翌日。監督・當眞豊は壽哉の3学年下で同ポジションだった。
人望のある壽哉と穏やかな禮次が作り上げ、新体制が磨きをかけるチームは、決勝を東海大仰星と戦う。相手は1カ月前に4回目の冬の全国制覇を成し遂げた。壽哉は言う。
「ワクワクしています。決勝で当たるのは初めてですし、日本一のチームに胸を借りられる。学ぶことはたくさんあります」
キックオフは2月7日(日)午前11時20分。場所は東大阪市花園中央公園多目的球技広場(トライスタジアム)である。
(文:鎮 勝也)
【写真】 早稲田摂陵の礎を築いた親子鷹、廣瀬禮次先生(右)と壽哉先生