国内 2015.07.23

元慶大ラグビー部監督の上田昭夫さん 死去。

元慶大ラグビー部監督の上田昭夫さん 死去。

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上田昭夫さん。秩父宮ラグビー場にて(撮影:BBM)

 数週間前に電話で話したのが最後になった。取材のお願いで電話をかけたときだった。
 折り返しの電話がかかってきて話した。
「ごめん。いま、本当に体がキツくて。また、できるようになったら連絡します」
 いつもなら冗談のひとつやふたつを必ず口にするのに、とにかく声に力がなかった。
 元慶應義塾體育會蹴球部(慶大ラグビー部)監督で、日本代表SHとしても活躍した上田昭夫さんが、7月23日の午前7時39分に亡くなった(享年62)。アミロイドーシスという難病と闘い、療養中だった。

 慶應幼稚舎の5年生でラグビーを始めた上田さんは、高校から大学1年まではSOとしてプレーするも、大学2年時にSHに転向してトップ選手への階段をのぼり始めた。161センチ、58キロの体躯ながら強気のプレー。大学卒業後は一度は東京海上に入社も、やがて退社。トヨタ自工(現トヨタ自動車)に入ってプレーを続けた。同チームで日本選手権制覇を経験し、日本代表としてもキャップ6を獲得している。
 現役引退後は指導者として実績を残した。母校・慶大の監督を務め、1985年度に大学選手権優勝、日本選手権優勝。慶大蹴球部創部100年という節目の年(1999年度)にも監督を務め、チームを大学日本一に導く勝負強さを見せた。

 同年、ヘッドコーチとしてともに指導にあたった林雅人氏(現・東京ガスヘッドコーチ)は、故人のことをこう話す。
「情熱家で信念を貫く人でした。歴史のあるクラブですので、(関係者から)いろんな意見が耳に入るわけですが、自分の信じることを何があってもやり切る。ことなかれ主義を嫌う人でした」
 1987年にフジテレビに入社後は、ニュース番組でキャスターを務めた時期もあり、広く知られる存在だった。近年も秩父宮ラグビー場での試合開催時に場内FM放送でマイクの前に座るなど、常にサービス精神にあふれ、周囲を明るくする人だった。

(文・田村一博)

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日本代表の海外遠征でプレーする上田昭夫選手(撮影:BBM)

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