ギョウザ耳列伝 vol.12 リーチ マイケル
リーチ マイケル
(北海道・札幌山の手高―東海大―東芝)
勝負の年を迎えた。
ラグビーのワールドカップ(W杯)イヤーである。新春の3日。日本代表主将のリーチ マイケルは東芝の真っ赤なジャージィを着て、阿修羅のごとき烈しいプレーを見せた。
相手の「ダブル・タックル」も強靱な足腰ではじき飛ばし、突進を繰り返した。トライも奪った。
が、1点差でヤマハに敗れた。秩父宮ラグビー場。トップリーグの大一番だった。試合後の記者会見。
律儀なマイケルはまず、こう口を開いた。「新年明けましておめでとうございます」
ニュージーランドに生まれ、5歳からラグビーを始めた。母もラグビーをやっていたそうだ。15歳の時、日本にやってきた。札幌山の手高校へのラグビー留学だった。それから、10年余の歳月が過ぎた。
2年前、帰化した。日本人の妻との間に1女を持つ。もはや日本代表にはなくてならない存在となった。
「自分たちの甘さがすべて、出たかなと思う。もう一度、東芝のスタンダードを上げないといけない。優勝するためなら、練習からハードワークしないといけない」
ロッカーで着替え、黒いキャリーバッグを引きながら通路に出てきた。敗戦のあとだ。気分は悪いに決まっている。でも、恐る恐る近づいた。ぶ厚い胸板。そっと耳をのぞけば、両耳ともつぶれていた。
こんなことを新年早々聞くのは気がひける。それも相手は日本代表のキャプテンだ。取材の趣旨を小声で話せば、無精ひげで覆われた顔を少し崩した。
「ははは。いいよ。ダイジョウブ」
「いつ、つぶれたのですか?」
右耳は東海大学1年生の時、ロックとしてスクラム練習を繰り返していたら、「ぶ〜と膨れた」という。
「スクラム、モールでわいてしまった。痛いけど、やるしかなかった。痛みを乗り越えるしかなかった」
左耳が2年前の東芝でのモールの練習中だった。がつんがつんとぶつかれば、耳がぼーんとなってしまった。
「すごく痛かった。いつか、正確な時期は忘れたけれど、痛みだけは覚えています。病院で血を抜いていたけど、3週間ぐらい、ずっと膨らんだままだった」
もう痛みは、完全にない。でも、固まった左耳は穴がふさがったままである。ごつい左手の人差し指を左耳の穴に入れようとする。
「はいらない。穴がないのがつらい。イヤホンが耳にはいらないのです」
わかる、わかる。だから、iPodでミュージックを聞くことはできない。聞くとすれば、ヘッドホーンを使うしかないのだ。
一緒に笑えば、マイケルは片方の耳ずつ、こちらに向けて、笑顔で説明する。
「こっち(右耳)は1か月くらい、こっち(左耳)は3か月くらい、痛みがなくなるまでかかった」
ギョウザ耳は海外では「カリフラワー」と呼ばれる。ニュージーランドにも、派手なカリフラワーの選手がいる。オーストラリアにも、イングランドにも、フランスにも。
万国共通なのだ。
「耳わいている人を見たら、こいつはタフガイだなと思う。カリフラワー(ギョウザ耳)はたぶん、ひどく痛い。だから、タフガイの証拠みたいなもの。同じ痛さがわかる。つい連帯感が湧き上がるよ」
カリフラワーのマイケルはまず、東芝の2つ(トップリーグ&日本選手権)のタイトル奪取を狙っている。日本選手権後には、世界最高峰の『スーパーラグビー』に挑戦する。チーフスのジャージィを着る。
その後、日本代表の合宿を重ね、9月、10月のW杯イングランド大会に出場する。ジャパンのキャプテンとして。
前回の2011年W杯ニュージーランド大会では4試合いずれもフル出場した。トンガ戦でトライはマークしたけれど、1分け3敗に終わり、1勝もすることができなかった。
ひどく悔しかった、と漏らす。だから、今度は勝ちにいく。ことしのW杯の目標は、「最低3勝して準々決勝にいくこと」である。
1次リーグでは南アフリカからスコットランド、サモア、米国と対戦する。
準々決勝進出の自信は。
「あります」
通路を抜けると、秩父宮ラグビー場の外にはファンがたくさん、残っていた。子どもたちが叫ぶ。「リーチ!」「リーチ!」と。
マイケルは丁寧にサインを書き、記念撮影に応じる。東芝の選手はいつも、こうだ。ファンにはとびきり優しい。
もしも子どもたちが「ギョウザ耳」になったらどうすればいいのか。そう聞けば、26歳のマイケルは即答した。
「ガマン、ガマン、ガマン…。ガマンするしかない」
我慢して、痛みを乗り越えれば、タフなラグビー選手になれる、そう信じている。飾りじゃないのだ、ギョウザ耳は。
2015年1月9日掲載
※ 『ギョウザ耳列伝』は隔週金曜日更新
【筆者プロフィール】
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。