コラム 2015.01.01

ありがとうライバル。  田村一博(ラグビーマガジン編集長)

ありがとうライバル。
 田村一博(ラグビーマガジン編集長)

 ああそうだった。
 12月29日。花園第3ラグビー場。全国ジュニア大会を見ているときに、ふと思い出した。
 激しいタックルを見舞ったある選手が頭部を強打し、その場で倒れた。レフリーやドクターが駆け寄り、しばらく試合が止まる。そのとき、一緒に観戦していた先輩がつぶやいた。
「僕たちの頃はこういうとき、必ず相手チームのキャプテンが倒れた選手のところに近づいて、『大丈夫ですか』と気遣い、声をかけていたんだよね」
 それが済んでから自チームの仲間のところへ戻り、話すべきことがあれば何かを話すのが当たり前だった。その言葉を聞いて、ラグビーの昔の光景を思い出した。そんな光景があるから、ラグビーが好きになった。

 ライバルを大切にする文化が好きだ。だから、フルタイムの笛が鳴ったら、まっ先に目の前の相手と握手を。試合が終わるとしばらくして両チームがピッチ中央に集まり、エールの交換をする。いまは、それがどのカテゴリーでも一般的になっている。
 そうではないだろう。
 一度、お互いのサイドに分かれてから、ふたたび対峙してどうする。死力を尽くし切って、試合終了の瞬間、目の前にいるライバルの手を握る。そしてキャプテンのリードに合わせ、その場で「スリー・チアーズ・フォー」。そんな光景こそ、多くの人が愛したラグビーではなかったか。

 ごめんな。ありがとう。
 どちらの言葉が先に出たか、はっきりおぼえていない。でも、どちらの言葉も何度も出た。12月28日、花園第3グラウンド。黒沢尻北高校に5-43と完敗した試合後、土佐塾高校が組んだ円陣だった。
 エースで主将のFB金崎廉大朗を擁した今年の同校。夏に菅平高原でおこなわれた全国高校セブンズでベスト8に勝ち上がるなど、充実が伝えられていた。今回が14度目の花園出場ながら勝利はただ一度だけ。2勝目への思いを強く持って挑んだ今大会だった。
 しかし完敗だった。相手も3年連続出場と充実している伝統校。黒沢尻北は立ち上がりから激しく前に出て、体を当てた。全員が気迫あふれていた。多くの選手が「金崎、金崎」と土佐塾のエースの名を叫んでマークの意識を高めた。突破力ある背番号15がボールを持てば猛プレッシャーをかけ続け、土佐塾に勢いを与えぬ覚悟が伝わった。

 前半0-38。後半5-5。試合後の円陣で土佐塾の西村保久監督は、「ごめんな」と「ありがとう」をくり返した。
「いつも通りにやろう。そう言って送り出したんです。相手がキックを蹴ってきたら、そのボールで攻め返そうと」
 結果、エースに相手の防御が集中した。研究されているのに、真っ向勝負過ぎた。
「もちろん点差がついたということもありますが、後半、『蹴ってきたボールを蹴り返し、そこから攻防を進めよう』と言っただけで、ガラリと内容が変わったんです。そのひと言を、試合前に言ってやれなかったから…ごめんな、と」
 今年の3年生とは中等部に入学してきたときからの付き合いで、みんなやる気にあふれ、日々の努力も見てきた。それだけに、勝利に導けなかったことを申し訳なく思った。

 ありがとう。その言葉も自然と出た。行く先々で「いいチームですね」と声をかけられた。みんなでいろんなところに出掛け、注目もされ、夢を見た。
「お疲れさん。もっと試合したかったな」
 過ごして来た日々に後悔はなく、この先がないことだけが寂しい。そう思えることなんて滅多にない。
 西村監督には、花園へ出場しはじめた直後の記憶がある。相手チームが笑いながらプレーしていた。ひ弱で、ルールもよく理解せぬままピッチに立つ選手がいた頃、相手が目を吊り上げて襲いかかってくることなんてなかった。
 でも今回、勝者の気合いと形相は凄まじかった。土佐塾は最初から負けていたのでなく、この日の戦いに敗れた。
「相手を本気にさせたい。そういう時期があって今年がある。これをなんとか(来年以降のチームにも)つなげていきたいですね」

 金崎主将の態度も素晴らしかった。高校進学時、他県の強豪校からも誘われた。しかし、「高知からでもやれると示したかった」の心意気で仲間たちとともに歩み続け、3年連続花園へ。「最後までついてきてくれてありがとう。いつも笑ってきたよな、俺たち。笑おうや」と円陣の中で話し、3年間を締めくくった。
 ライバルにも敬意を表した。
「試合中、自分の名前を口々に言っているのが聞こえました。それなのに、自分は不甲斐なかった。向かって行って倒されて、(対策してきた)あちらにも申し訳なかった。もっと周りを活かせばいいのに冷静になれなくて、味方にも悪かった」
「でも、選んだ道は間違っていなかった。最高の仲間たち」と言った後、この悔しさを進学する筑波大で活躍するための糧にしたいと前を向いた。

 本気で向かってきてくれた黒沢尻北のおかげで、土佐塾の選手は力を出し切れた。だからこそ感じる悔しさが、彼らをもうひとつ上のレベルに向かわせてくれる。
 ありがとうライバル。

【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。

(写真:土佐塾高校のキャプテンを最後まで立派にやり遂げた金崎廉大朗/撮影:松本かおり)

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