豊かなスポーツ人生を。タグを通して伝えたいこと。
人もうらやむような才能に恵まれて現役時代を過ごした。
でかい。パワフル。それでいてバックス。規格外の男は、いつも相手を蹴散らして走り、スタジアムを沸かせた。
そんな石川安彦が、タグラグビーを通して子どもたちと触れ合う日々を過ごすようになって、もう4年ほどが経った。東京・杉並区の小学生たちが言う「タグのやっさん」とはこの人のことだ。そして北は青森から南は沖縄まで、全国のいろんな学校もまわってきた。毎年年間50校以上、人数にして5000人以上と向き合ってきたから、もう2万人以上の子どもたちにタグの魅力を伝えた。文部科学省/日本体育協会が展開する『子どもの体力向上プロジェクト』の一部活動を所属会社が請負い、この男が動く。
山梨の名門、日川高校でラグビーを始め、1週間でレギュラーになった。高校2年、3年と高校日本代表に。早大でも入学直後からピッチに立ち続け、4年時は主将を務めた。
卒業後は東芝で活躍した。5年間在籍した後、プロフェッショナルへの転身のため三洋電機(現パナソニック)へ移籍。2007年度は釜石シーウェイブスでプレーしたけれど、腰のヘルニアが悪化。そのシーズンを最後に現役を引退した。
「昔は、現役を引退したらトップチームの指導をすることになるだろうな…と勝手な想像をしていたのですが、いまは、この活動をできるだけ続けていきたい。心の底からそう思っています」
タグラグビーを通して、スポーツの楽しさを知る子どもたちが増えてくれたなら。その子たちがラグビーを好きになり、いろんな形で社会に散ってくれたらなお嬉しい。
「ラグビーのワールドカップを盛り上げてくれる存在になってくれたら、もっといいな、と思うんです」
死ぬ気で夢を追っていた若き頃。いまは、子どもたちに夢を持たせることを生き甲斐にしている。
人を教える側に立って4年。指導法も変化してきた。というより、教え方が熟れてきた。
運動が好きな子、得意な子は黙っていても(自分から)やるし、うまくなっていく。石川は、そうでない子どもたちへ目を向け、アプローチする。
「普段おとなしい子どもたちでも前向きに取り組めるのがタグラグビーです。タグを取られた人が、それをあらためて腰に付ける間、他の人が動かないと不利になる。だから、仲間は隅っこでジッとしているわけにはいかない。パスが回ってくるから、みんな自然に走り出すんです。協力しないとできないスポーツだよ、とみんなに伝えるようにしています」
授業時間は45分。やれることは限られている。とにかく子どもたちを没頭させることに全力を尽くす。
「子どもたちは、楽しいと思えばのめり込んでいきます。ただ、ゲームのおもしろさまで伝えるには1回の授業では無理なので、4回は担当させてほしいと頼んでいます。その4回の授業のうちの最初の2回ぐらいに、みんなで協力しないとうまくいかないゲームをやって、タグにつなげていく。サッカーでゴールするのは難しいけど、タグだと、サポートしていればトライできることもわかってくる。そうなると、みんな笑顔になる」
タグラグビーの普及につながればいちばんだけど、まずは、タグを通して運動が好きになってくれたらいいな。そんな思いで子どもたちと接している。
体を動かすことそのものを楽しむ。仲間とともに全力を尽くす。いまイチバン伝えたいことは、「実は自分自身の歩んできた道とは違うこと」と苦笑する。
「プレーヤーから指導者に転じてすぐ、自分の教え方に疑問を持ったことがありました。まだ若く、子どもたちと一緒に動き、こうやるんだよ…なんて言ったり、やってみせたりしていたんです。でもそれを客観的に見ると、自分がラグビーを始めた頃に教わったやり方と変わらないな、と感じました。高校でラグビーを始めたとき、一から十まで教わって、将棋の駒になったような気がしました。それが嫌だったんですよ。だから、目の前にいる子どもたちも、本当は好きに駆け回りたいだろうし、こういう練習してみたいと思っているだろうな、と」
自分が少年時代に感じていた、大人への疑問。でも、自分も結局は同じことをしようとしていることに気づき、ハッとした。
「子どもたち自身が考えた方向に進めるように、手助けしてあげる。サポートしてあげる。そうでなくてはいけないな、と思い直しました」
タグ指導者向けの講習会で先生方と話すときも、自身の歩んできた道を話す。
「私は、思い描いていたものと違う競技者人生を歩みました。だから、目標を達成できなかったのはなぜなのか、指導者の方々に自分の失敗談を話すことがあります。子どもたちがそういう目に遭わないように導いてくださいね、という思いを込めて(笑)」
こんな内容だ。
「私は、最終的には日本代表に定着してワールドカップに出るのが目標でした。高校に入ってすぐにレギュラーになり、高校2年から高校日本代表にもなった。大学でもすぐレギュラーと、自分の想像を超えるスピードで進化していきました。でもそれは、ただ素質に恵まれていただけでした。周囲とコミュニケ−ションをとったり、協力して成し遂げようとしたり、そういったことをやらなかった。キャプテンをやってもただ突っ走っただけで、『俺についてくればいいんだよ』で終わっていた。だから、すべてが終わったとき、自分が信頼されていなかったことに気づいたりしました。最後にぼろが出た。そんなが気がしたんです。何気なくやっていたツケは、怪我が多くなることにもつながりました。自分の体調も管理できず…不本意なまま競技生活を終えた。
そんな経験があるので、指導者の方には、子どもたちにはスポーツの本質を伝えてください、とお願いしています。自分を見つめ、チームメートを尊重し、大切にして、いろんなことをやり遂げる中で、考える力を身につける。そういった子どもたちを育ててください、と」
勝負に徹する世界を生きて得たものもたくさんある。自信満々に生きたから成し得たことも何度も。でも、このスポーツを純粋に楽しむ時間をもっと過ごせていたなら、と思う気持ちはいつまでも消えない。ラグビーをもっと愛せていたら、残した実績以上にうまくなれたかも。うまくなるために自律し、仲間と手を取り合って頑張れたかも。
超一流の素質を持ちながら、努力家としては二流の生き方をしてきた。だからタグラグビーの指導者としては、誰にも負けない情熱を持っていたい。自分を待ってくれている子どもたちがいる限り、「タグのやっさん」として学校へ向かう。
石川安彦(いしかわ・やすひこ)
1976年1月28日、山梨県生まれの38歳。日川高校でラグビーをはじめ、高2、高3と高校日本代表に選ばれる。早大では主将。WTBとして活躍した。卒業後、東芝府中(現・東芝)、英・ロザリンパーク、三洋電機(現・パナソニック)、釜石シーウェイブスとプレーを続け、2007年度シーズン限りで現役を引退。その後は大学の先輩が経営する九州の会社で営業職を経験し、その後、現在も務める株式会社FIELD OF DREAMS(スポーツ教育事業部)へ。日本A代表、U23日本代表、関東代表、学生日本代表にも選ばれた。