コラム 2014.11.10

全国高校大会大阪府予選 東海大仰星×常翔啓光学園

全国高校大会大阪府予選 東海大仰星×常翔啓光学園

 ロイヤルブルーの6年ぶり花園出場の夢は11月9日についえた。常翔啓光学園は第94回全国高校大会大阪府予選準決勝で姿を消した。同じ枚方市に学校のある東海大学付属仰星高校に7−41。灰色の空から降る雨は涙雨になった。傘をささず、濡れながら指示を出した監督・川村圭希の顔はゆがむ。
「最高の準備をして臨みましたが…。仰星は余裕を持ってやっていましたね」

 啓光は前校名の啓光学園時代を含め、全国優勝7回。一方の仰星は3回。高校ラグビーをリードしてきたチームによる4強戦で啓光は後手を踏む。
 前半7分、ハイパントを落球。アドバンテージの間にボールを素早くつながれ、仰星LO上田克希に左隅に飛び込まれ先制を許した。気温は平年並みの13度。しかし、雨滴と生駒山から吹き下ろす東風で体感温度は下がる。11月上旬にも関わらず、スクラムなどの密集プレーでは白い湯気が上がった。その悪コンディションがミスを呼ぶ。
 同17分にはラインアウトモールの押しを意識し過ぎ、右サイドを仰星FL西川壮一に割られる。内についたFL眞野泰地にインゴールに飛び込まれた。
 前半は0−17で終了した。

 啓光は試合前から不利があった。中心選手、U17日本代表のSO芳森大輔が左足首じん帯断裂をおして出場していた。先月行われた長崎国体でオール大阪の正SOとして優勝の原動力になったが、その時の受傷は回復していない。腫れや痛みは残り、動きに普段のキレはなかった。
 司令塔の故障にチームの士気も上がらない。後半2分、自陣ゴール前のスクラムを押し込まれ、インゴールでこぼれ球を押えられた。
 同19分にはラックサイドを突いてトライを挙げたが、見せ場はここだけ。ボール占有率は30パーセント台。ゴール前に持ち込んだ大きなチャンスも19分のみ。トライ数は1−7と圧倒された。

 チーム練習を指揮した前監督の杉本誠二郎は視線を落とす。
「セットプレーが誤算でした。ブレイクダウンも仰星は思ったより人数をかけてきた」
 ラインアウトからのモール、そしてスクラムで加点され、タックル直後のボール争奪でも劣勢だった2点を悔やんだ。
 仰星は伝統としてラインアウトモールを大きな武器にしている。今回はそれだけではない。監督・湯浅大智は杉本の話に応える。
「9月末から10月の中ごろまではそこばっかり(ブレイクダウン)繰り返して練習しました。単純なやつですがね。啓光がそこにかけてくるのがわかっていたので」
 等身大の大きさのコンタクトバックを寝かせ、先端にボールを置き、攻撃側2人が防御側1人を排除する。「理屈抜きで、目の前にあるボールを獲れ」。磨いためくり上げの技は啓光のボール・リサイクルを容易にはさせなかった。

 啓光は川村が語ったように「最高の準備」はできていた。
 9月末から週2回、京田辺市にある同志社大学に出向き、合同練習をしてもらった。約2時間、大学生との試合形式を交えた実践的トレーニングは濃い。川村も「もちろん相手してくれたのは下のチームですが、それでも最後の方は目の色を少し変えられたかな、と思います」と効果を感じていた。
 11月3日にはニュージーランド(NZ)・ウェリントン在住の日本人ラグビーコーチ、竹内克が帰国。指導に入った。啓光は夏の修学旅行を兼ねた合宿で竹内の元を訪れる。付き合いは10年以上に及ぶ。竹内はNZで活躍する邦人では経験、レベルともにトップ。今年はハートランド・チャンピオンシップ(NZ国内選手権3部リーグに相当)のホロフェヌア・カピティのコーチをつとめた。しかし、最大限使える組織、個人をもってしても勝てなかった。

 勝敗に関わらず、対戦相手に対する尊敬を忘れない海外で暮らす竹内は話す。
「仰星はブレイクダウンも強かったけれど、ゲーム運びがうまかった。一人一人がどんな時でも落ち着いて、前を見てプレーをしていました。そこが違いだったように思います」
 戦後の優勝回数は秋田県立秋田工業高校の13回に次ぎ歴代2位の7回。2001年度の第81回大会からは戦後唯一の4連覇も記録した。しかし7回目全国制覇の88回大会(2008年度)から大阪代表としての花園出場はない。今年は6月の第69回府高校総体で連敗したため7位となり、今回の予選は初のCシードに落ちた。その5年間、仰星は全国優勝1回、準優勝1回。竹内が話したように、チームとしての経験値は大きく開いていた。

 進学校化を図る啓光は、昨年度ラグビー部の軸となっていたスポーツクラスを廃止した。新チームの3年生は最後の推薦入学者となる。川村は言う。
「これでいい意味でリニューアルできます。強い、とか、4連覇した、とかはもう通用しない。生活スタイルやラグビーへの取り組みも含めきちっとしていくつもりです」
 33歳の青年監督はあくまで前向きだった。それは指導者にとって不可欠な資質でもある。試合には負けてもチームは残るのだから。

(文:鎮 勝也)

【筆者プロフィール】
鎮 勝也(しずめ・かつや) スポーツライター。1966年生まれ。大阪府吹田市出身。6歳から大阪ラグビースクールでラグビーを始める。大阪府立摂津高校、立命館大学を卒業。在阪スポーツ新聞2社で内勤、外勤記者をつとめ、フリーになる。プロ、アマ野球とラグビーを中心に取材。著書に「花園が燃えた日」(論創社)、「伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか」(講談社)がある。

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