龍谷大監督の元ジャパン 大内寛文 関西大学Aリーグ復帰へ3年目の挑戦
大内寛文は挑んでいる。
成し遂げたいのは、監督をつとめる母校・龍谷大学、通称「リューダイ」の関西大学BリーグからAリーグへの復帰である。
「上がりたいですね」
187センチの元FLは日本代表キャップ5。そして住職の肩書も持つ。生家は広島県竹原市にあり500年以上の伝統を誇る浄土真宗本願寺派の長善寺。僧籍にある人らしく常に笑みを絶やさない。それでも心中は燃えている。
10月19日、龍谷大は甲南大学と対戦した。12トライを挙げる猛攻で76−0と快勝。開幕4連勝とする。最低週2回、1時間は取り組んできたモールで4回相手ゴールラインを越えた。大内はにこやかだ。
「今日はいいゲームでした。大きな武器であるしっかりしたモールが組めた」
監督就任は2年前の2012年5月だった。
前任の記虎敏和は大阪・啓光学園(現 常翔啓光学園)を戦後初の高校4連覇に導いた。しかし、大学では結果を残せない。就任後最初の4年はAリーグ8位、残りの4年はBリーグだった。その状況で監督の話が来た。
「誰かOBが行かんといかん、ということで私が呼ばれました」
学生に尊敬をもたらすジャパンの過去や大学、OB、保護者、後援会との円滑な関係を作るための宗教家としての現在が高く評価された。大内は指導法を口にする。
「学生に言って、諭して、待って、です。雰囲気を損なわないように、抑えつけないようにしています。怒りたい時もありますがね」
大内は龍谷大の伝統である学生主体の方針を打ち出す。練習メニューは主将のNO8向佑介らリーダーと話し合って決めている。
ラグビーに取り組む下地作りにも取り組んだ。戦術充実のため日本代表の分析も担当したOBの浜村裕之を2013年にコーチに迎えた。大学に働きかけ、栄養充実の朝晩2食を1日1600円で提供できるようにした。京都市伏見区にあるキャンパスから山科区にあるグラウンドに向かう送迎バスの時間を学生の授業終了に合わせるようにしてもらう。
甲南大戦で3トライをマークしたゲームキャプテンのWTB堀内泰佑は心地よさを語る。
「決めつけないし、上から目線じゃない。とてもやりやすいです」
1年目は4位、2年目も4位。リーグ上位2位までに許される入れ替え戦にも出られなかった。それでも大内には手応えがある。
「1年目は春シーズン中に監督になったので何も変えられなかった。2年目で少し変わった。今年で指導が浸透してきた。チーム力がアップしている感じはします」
3年目の正直、である。
普通ではない人生が大内の包容力を生む。1966年生まれ。今年48歳。県立竹原高校では1984年度の高校ジャパンに選ばれ、ウェールズ遠征に参加した。進路は「より高いレベルで」と東日本リーグの強豪、リコーを選んだ。1990年10月27日の韓国戦で代表初キャップを獲得。1991年には第2回ワールドカップにも参加した。同年4月には寺を継ぐため、僧侶の資格が取れる龍谷大に進学。プレイングコーチとしてチームをけん引した。卒業後はリコーに再就職。2年を過ごし竹原に戻る。現在は住職のまま大学職員となり、広島から京都に単身赴任中。留守中の勤行(ごんぎょう)は81歳の父・亮文さんが主に引き受けている。大内自身も練習オフの月曜日は実家に戻り寺務を手伝う。
龍谷大ラグビー部は1929年(昭和4)創部。1989年の入れ替え戦で立命館大学を24−4で下し、初めてAリーグに昇格した。1990年から2007年まで18年をAリーグで過ごす。最高位は3位。大学選手権には7回出場した。2007年の入れ替え戦で摂南大学に22−62で敗れ、Bに転落。以後7年を下位リーグで過ごしている。主なOBには、今年7人制日本代表に返り咲き、代表キャップ9を持つ36歳のFB三木亮平がいる。
大内が就任した2012年には、大学側から最上の支援が受けられる「重点競技」から「強化競技」への降格を言い渡された。年間予算やスポーツ推薦枠の削減が現実になる。
「痛いのは指導陣に関して。重点ならフルタイムのコーチを2人雇える権利が発生します。それがなくなった」
「重点」か「強化」の見直しは3年に一度。このシーズンが終われば3年が経過し、検討会議が行われる。大学側へのアピール材料はもちろんA復帰だ。
今季最大のヤマ場は11月2日、次々戦となる関西大学戦である(大阪・長居第2陸上競技場、午後2時キックオフ)。両チームともおそらく5戦全勝でぶつかる。
「関大には負けられない。ここにピークを持ってくるようにやってきた」
大内は珍しく語気を強めた。昨年Aリーグを経験した強敵との勝敗が龍谷大の命運を握っている。
【筆者プロフィール】
鎮 勝也(しずめ・かつや) スポーツライター。1966年生まれ。大阪府吹田市出身。6歳から大阪ラグビースクールでラグビーを始める。大阪府立摂津高校、立命館大学を卒業。在阪スポーツ新聞2社で内勤、外勤記者をつとめ、フリーになる。プロ、アマ野球とラグビーを中心に取材。著書に「花園が燃えた日」(論創社)、「伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか」(講談社、14年10月発売予定)がある。