コラム 2014.09.05

ギョウザ耳列伝 vol.3 相馬朋和

ギョウザ耳列伝 vol.3 相馬朋和
「正々堂々とまっすぐ組め」。薄ギョウザ秘話。スクラム職人が初めて泣いた日。

相馬朋和
<東京高校―帝京大―三洋電機(現パナソニック)。現パナソニック・スクラムコーチ>

mimi B

 なぜギョウザ耳の連載なのにプロップが登場しないのか。晩夏。長野・菅平高原で某ラグビーファンにそう、文句を言われた。
 ごもっとも。そこで菅平のグラウンドをあっちこっち探し歩いた。いた、いた。「スクラム命」のオトコが。遠くからでも一目瞭然。おおきな樫の木のごとき、心やさしきスクラム職人を発見し、ダッシュする。
 あのパナソニックの凱歌から半年が経つ。現役を引退し、いまはパナソニックのスクラムコーチと母校・帝京大のFWコーチを務めている。元右プロップは、忙しくも、充実した日々を過ごしているそうだ。

 「どれ」と耳を見せてもらえば、スクラムでトイメンと接触してきたはずの右耳は綺麗である。内心、がっかりする。
 相馬がすまなそうな顔をして、「つぶれてないですよ、ワタシ」と漏らす。「でも、こっちはつぶれました。“ぐちゃ”って」。右手で左耳の耳たぶをビヨ〜ンとのばす。
 よかった。ひどくはないけれど、左耳は少しばかりつぶれている。ハハハ、と笑う。
 「ギョウザといえばギョウザですけど、ギョウザじゃないといえばギョウザじゃない。あえて言うと、薄ギョウザですね」
 いつもながら、表現が心にくい。顔付きも哲学者然としているのである。で、その薄ギョウザ、どうして作ったんですか?
 「キンちゃんのひざが入ったんですよ、キンちゃんのひざが…」。そう言って、相馬は菅平の青い青い青空を見上げた。遠い記憶がよみがえる。
 キンちゃんとはもちろん、東芝のロック大野均のことである。

 「うちがまだ三洋電機だったとき、栃木で東芝に勝ったんです。6、7年前かな。30歳ぐらいのときでした」
 ネットで調べる。2007年12月16日のトップリーグの試合だった。三洋電機が41−0で東芝に快勝している。
 「試合中、キンちゃんにタックルしたら、思い切り、ひざが左耳に入って…。内出血です。ピンポン玉ぐらいに腫れたんです。もう痛くて、痛くて」
 腫れが柔らかい状態では血を抜きにくい。そのままにした。その次の週がサントリー戦。「耳が痛いから出場したくない」と言ったら、当時の鬼の宮本勝文監督に怒られた。「ふざけんな。なめてんのか。試合に出ろ」って。
 強行出場。試合でラックに突っ込んだとき、空からサントリーの大久保直弥(現・監督)が降ってきた。その硬いからだが、左耳のピンポン玉を直撃した。
 「ナオヤさんが、だれかにクリーンアウトされて、上から降ってきたんです。ナオヤさんのかかとが耳にあたったら、バァ〜〜ンとピンポン玉がつぶれたんです。大人になって初めて、痛くて泣きました」

 ヘッドキャップの下、耳に付けていた白いタオルが血で真っ赤に染まった。相馬がゲーム中に泣いたのは、それが最初で最後だった。試合後、病院で傷口を縫った。残った血が固まり、やがて薄ギョウザ耳が誕生した。
 「キンちゃんのときは泣かなかったけれど、ナオヤさんのときは泣きました」と相馬は真顔で言うのだ。
 「でも、ナオヤさんがつぶしてくれてよかったなあ、と思います。耳が立派なギョウザにならなくてよかったな、薄ギョウザでよかったなって」

 ところで、なぜ右耳は綺麗なのですか。何百本、何千本もスクラムを組んだはずなのに。変じゃないですか?
 「ぼくは右耳を相手とこすりあわせるようには組まなかった。もともとスロット(相手フロントローの頭のスペース)に自分の頭を入れていたので。右にはいかない。真っすぐが一番強いんです。わざわざ相手の頭があるところにぶつかっていかないですよ」
 実はつよいプロップはさほど耳がつぶれていない。真正面から組み合うのだが、考えて、頭のスペースに真っすぐ組みこむからだ。技術や駆け引きが長けていれば、何も好き好んで痛い思いをする必要もなかろう。
 「真っすぐ組んでいるのに、“この3番、内に入っている”とよく言われました。昔は“右アップ”だと言って、からだを“く”の字に曲げて組むように言われていました。でも、そんなことやったらケガするでしょ。“内に入っているって、何に対して内なのかって心の中では思っていました」

 相手に文句を言われても、レフリーに「まっすぐに」と注意されても、相馬は自分の信念を曲げなかった。
 「じゃ、まっすぐの定義って何ですかと聞きたい。相手の背骨に対して真っすぐなのか。相手の背骨が動いたら、それに合わせて組むことが真っすぐなんですかって。動くものに対して真っすぐってよくいったもんですよ」
 相馬は大声で反論したかった。背骨がタッチラインと並行、地球(地面)と平行なのが真っすぐの定義なのだ、と。
 オールブラックスのスクラムを構築した臨時コーチ、マイク・クロンに指導を受けた際、「君の考えは間違っていない」と太鼓判を押してくれた。自信が膨らんだ。まっすぐ組んで、肩、ひじ、胸の使い方を工夫する。ひざのタメをつくり、足の裏の位置を微妙に変える。独自のスクラム理論を築きあげた。

 相馬が指導し始めて帝京大のスクラムは著しい成長を遂げている。強化の肝は「よく食べて、よく練習すること」と言い切る。本数を組めば組むほど、スクラムは強くなる。ただ「正々堂々と組まなきゃ、強くはならない」が持論である。
 「大切なことは、ちゃんとした姿勢で組むことです。見た目が綺麗なスクラムがやっぱり、強いんです。綺麗な姿勢で本数を組めば、8人のまとまりは自然と出てくる。互いの癖を覚えていけば、さらに強くなります」
 スクラム道の王道をあゆむ。小手先のプレーに走るな。まずはコンテストして、まっすぐに押していけ。正々堂々と。スクラムを語りながら、薄ギョウザ耳の37歳は人生を語っているのである。

(文・松瀬 学)
2014年9月5日掲載

【筆者プロフィール】
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。

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