セブンズ日本代表・三木、36歳。香港へ「わくわく」。リオへ「スタート」。
(撮影:松本かおり)
何年ぶりだろう。こんな気持ち。
「わくわくしています(笑)」
8月21日午前、三木亮平は香港に旅立った。前日発表になった、ARFUアジアセブンズシリーズ2014 第1戦『香港セブンズ』(8月23日、24日)の遠征メンバーに名前があった。
「素直に嬉しかったですね。ただ、まだ始まったばかりだと思っています」
海外遠征は2006年5月、7人制日本代表としてスペインでの大会に参加して以来のこと。3年前に現役引退(当時三洋電機)してからはトップレベルでプレーしていなかったのだから、簡単に万全になれるはずもない。
だけど、自信と不安が入り混じる心境は、現役プレーヤーの特権だ。現役復帰への挑戦は今回のメンバー入りで道半ばながら実現し、「始まったばかり」の言葉は、目指すリオ五輪(2016年)出場へのスタートラインに立った心境を表わしている。
1978年3月24日生まれの36歳。龍谷大学で活躍後、トヨタ自動車、ワールド、ホンダ、三洋電機(現パナソニック)でプレーした。1999年のワールドカップスコッドにも選ばれ、日本代表キャップ9。才能に恵まれた男ではあるが、3年のブランクと、30代後半にさしかかってからの復帰は簡単ではない。スタートラインには立てたが、定めたゴールにたどり着けるかはもちろん、走りきれるのかも分からない。ただ、あらためて夢を追いかけ始めてからの日々が充実していることだけは真実だ。
現役引退後、同志社大学大学院総合政策科学研究科に学び、この3月に終了した。大学院入学決定までの間、上海外国語大学で学びつつ、現地クラブチーム『双竜』でプレーしたり、大学院での2年目には、母校・龍谷大で週2回ほどのBKコーチを務めながら体を動かしてはいた。
持ち前のチャレンジャースピリットが首をもたげたのは、後輩たちを指導している日々の途中だった。
「コーチとして客観的にラグビーを見るようになったら頭がクリアーになって、『こうしたらいいんじゃないか』、『こうやったらこうなるな』と、理解度が深まった気がしたんです。そのとき、この状態で体力を戻したら、以前の自分と違うラグビーをやれるんじゃないか、と。そう思って(復帰を)決めました」
やるからには目標は高い方がいいと、セブンズでのリオ五輪出場をターゲットにした。体を作り始めると同時に、強い意志を代表首脳陣に示し、トレーニングに参加。灼熱の太陽の下で歯を食いしばれたのは、体力的な辛さより、ボールを追う楽しさの方が大きく上回っていたからだ。
「若い選手たちからは刺激をもらいました。だから自分は、経験してきたことを伝えました」
個をアピールしながら、チームを支えることを忘れない。首脳陣が、経験豊富な男をチームに加える理由のひとつだろう。
「体力はだいぶ戻ってきています。ただ国際レベルを戦うには、フィットネスも、スキル、判断力も、もっともっと高めないといけない。ゲーム感覚だって、そう」
課題を数える表情すら明るい。必死で走り続けて、リオ五輪で燃え尽きていい。そんな覚悟で毎日を過ごしている。
「2016年がゴール。もちろん、その時にまだやる気が残っていたら走り続けますが…たぶん、すべてを出し尽くしていないと(願いは叶っていない)。2020年は絶対にありません(笑)から、(自身にとっての)最後のオリンピックへの道を楽しみたい」
夢と挑戦に年齢制限なし。五輪出場とメダル獲得も果たし、みんなの願いも叶えたい。