コラム 2014.08.07

ただラグビーをする。  藤島 大(スポーツライター)

ただラグビーをする。
 藤島 大(スポーツライター)

 スーパーラグビー初制覇、ワラタスの背番号6、32歳のスティーブン・ホイルズの感慨はさぞや深かったろう。この元ワラビーズの実力者は、ざっと3年間、アキレス腱がらみの負傷にさいなまれ、ブランビーズとの契約を切られ、友人たちに「いま何してるの?」と言われ続けてきた。みんな悪気なんてない。ただ、とっくに引退していると思っただけだ。プロのラグビー選手の姿がスタジアムに見えなくなったら、誰だってそう聞きたくなる。いま何してるの?

 2010年、ブランビーズとワラビーズの練習において断続的な痛みが始まる。シーズン後のオーストラリア国内での手術は成功せず、リハビリテーションもうまく運ばない。本人の述懐では「(ブランビーズの本拠地の)キャンベラで6週間をゾンビのように過ごした」(シドニー・モーニング・ヘラルド紙=SMH)。ブランビーズとの契約は1年残っていた。しかし当時のジェイク・ホワイト監督は「シーズンを通して試合に出られない可能性のあるキャプテン(ホイルズは主将を務めていた)の残留をきわめてよく思わず」(ESPN)放出に踏み切る。
 
 チーム仲間への挨拶もできず、ある日曜の朝、ロッカー室をきれいにして、生まれ育ったシドニーへ帰った。自宅近くのビーチで幼い子供を追いかけるだけでも素足はひどくうずく。やむなく砂浜でも布製のシューズを履いた。ホイルズいわく「まるでスウェーデンからの観光客のように」(SMH)。そして、そのスウェーデンの医師によって選手生命は救われるのだった。

 アキレス腱の診断と手術では「世界でベスト、そうでなくともベストのひとり」(ESPN)とホイルズの語る名医が、かの国にいた。ホーキャン・アルフレドソン医師、スウェーデンのアイスホッケーの一流選手などを長く扱い、その分野で国際的に高い評価を得ていた。ホイルズは再起を決意、昨年の1月、同医師にメールを打ち、承諾を得る。父を伴い、11日間で11度のフライトを経て、時に空港のフロアで夜を明かしながら、手術を受けた。なるほどオーストラリアとスウェーデンは遠い。

 成功。最初は、自身のクラブ、ランドウィックの2軍からのスタートだった。翌週に1軍入り。8月にワラタスとの練習契約を結び、本年2月1日のトライアルでスコッド入りを果たした。ただし追加メンバーのため、シーズンの報酬は「50000豪ドルを超えない」(SMH)。ざっと450万円くらいだろうか。

 スティーブン・ホイルズは、スーパーラグビーの準決勝の前にこんなことを語っている。
「私の選手生活において、今シーズンは最もエンジョイできている。気持ちがこれまでと変わったからだ。いま私は、ただプレイしている」(同前)
 プロ選手は、よりよき待遇を求める。代理人が価値を高め、契約内容を交渉し、解雇におびえる。いちどは高いステージを失って、駆け出しのころのように、アマチュアを経験した。「キャンベラの住居を売り、妻は再び働きに出た」(同)。それでもラグビーをすることが楽しい。草の根の選手と同じ境地だ。

 ワラタスの冷徹にして熱血のボス、マイケル・チェイカは、ランドウィックの妥協知らずのナンバー8として鳴らした。1999年に現役引退すると、南アフリカ生まれでニュージーランド育ちのオーストラリアの有名なドレス・デザイナー、コレット・ディニガンのもとで働いたのち、2001年、衣料卸しのメーカー「ライブ・ファッション」を起業、大いなる成功を収める。10年に売却、みずからは役員に名を残している。すなわち経済的にラグビーに寄りかかる必要はまるでない。ただ好きだからコーチをする。レバノン系で英語とフランス語とイタリア語とアラビア語をよく話す45歳の人物は優勝後のインタビューで明かした。
「ビジネスとラグビーの両方を楽しんでいる。でも明白にラグビーこそが私の情熱だ。コーチとして関与することを愛している」(ABC)

 ラブ。ライクでなくラブ。ホイルズは苦難にあえぎ、ラグビーへの純粋な愛を確かめられた。チェイカは起業家として財産を築き、なお、ラグビー人であることそのものを愛している。損得抜きに「ただそうしたいからそうする」。安らかな心の核だろう。

【筆者プロフィール】
藤島 大(ふじしま・だい)
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビーの情景』(ベースボール・マガジン社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『楕円の流儀 日本ラグビーの苦難』(論創社)、『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐』(文藝春秋)、『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『ラグビー特別便 1986〜1996』(スキージャーナル)などがある。また、ラグビーマガジンや東京新聞(中日新聞)、週刊現代などでコラム連載中。J SPORTSのラグビー中継でコメンテーターも務める。

(写真:スティーブン・ホイルズ/撮影:YASU TAKAHASHI)

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