コラム 2014.06.06

サモア戦の勝利は、 ジャパン大転換の始まりとなるか  小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)

サモア戦の勝利は、
ジャパン大転換の始まりとなるか
 小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)

 ついにその日が来たか、と安堵するとともに、頬が緩んだのが5月30日のこと。秩父宮でのテストマッチ、日本×サモア戦。エディー・ジョーンズ
ヘッドコーチ(HC)が鍛え上げたジャパンのフィジカルが、ようやくサモアのような確実に筋肉番長型のチーム(たとえ実質C代表であっても)を上回った
(控えめでも、局面局面で互角以上)。これがジャパンのステップアップの始まりであると信じたい。今年のサモア戦は、ジャパンがエディー・ジョーンズ体制
となって3年目、以来、数えて34試合目(ジャパンXV戦を含む)、28試合目のテストマッチにあたる。アジア5ネーションズの3年間12試合全勝を除いたテストマッチの成績が、16戦8勝8敗となった。

 2012年11月の欧州遠征で、接点とセットプレイで苦しんだルーマニア戦、グルジ
ア戦の当時と比べ、ジャパンの進化は著しい。昨年はウエールズにも勝ち、中立地でのロシア戦、アウェーのスペイン戦に完勝しているが、強豪のスコットラン
ドが相手となると、まだフィジカルの差を痛感させられた。これを踏まえて、さらなる強化に務めてきたわけで、今年こその期待に胸を膨らませて観戦したのが、4月26日、花園でのアジア・パシフィックドラゴンズ戦だった。

 そのドラゴンズ戦では試合開始直後から、こと接点に限れば若手編成のジャパンが、相手に終始圧される展開となり、厳しい現実を突きつけられることとなってしまった。これだけ鍛えても(ジャパン戦士の肉体はこの2年少々で完全に格闘技体型に変わり、今や上体、上腕ともパツンパツンである)、まだダメなのかとの思いがよぎる結果だった。それでも、ワールドカップまであと1年、きっと、そう遠くないある日、努力が報われ、大転換が起きる試合が来るに違いない、との思いは、サモア戦を見に秩父宮へ集い、またテレビで試合を応援
したジャパンのサポーターの胸にもあったに違いない。
 エディーHC体制が3年目に入り、ジャパンのスクラム、ラインアウトの強化には目を見張るものがあるのに、5月25日の香港戦をみても、コンタクトエリアの圧力・耐久力に関しては、依然として目に見える結果が出ていなかった。圧力・耐久力とは、すなわちアタックの際に当たった後、相手側に押し込み、向こう側に倒せること、ディフェンスなら当たられた後、差し込まれずに踏ん張り、立って止めるか、あるいは相手側に倒し込むことだ。

 そのサモア戦である。ジャパンのアタックがコンタクト後も、バッタリ倒される場面がなくなり、大方のコンタクトで相手側へ押し込んでいた。それを支えたのが、ブレイクダウンへの2人目、3人目の素早い入り(過去のジャパンのあらゆるテストマッチを通じて、最高の速さ)だったことは特筆ものである。ディフェンスでも、前半は、ほとんど差し込まれることなく、止めきっていた。

 それでも試合後の記者会見でHCは、「ブレイクダウンはマズマズ」と口にしただけで、満足という表情ではなかった。もっとも、試合後のプレイヤーは安堵の笑顔を浮かべて、NO8コリーの「もっと良くなる」の言葉は、話を聞けた多くの選手が同じように話していた。それがサモア選手と身体を当てあった結果、得た自信なのだろう。

 といっても、手放しで喜ぶのはまだ早い。サモア戦のジャパンのように、サポートプレイヤーが絶妙の反応の良さを示した試合というものは、スーパーラグビーでも過去にNZのブルーズやオーストラリアのワラタスの試合で目にしている。だが、それを2試合続けられたチームというのを実は見たことがない(スーパーラグビーのチームの場合は、相手に応じて、戦い方を変えることもできるから、それが理由かもしれないが)。戦い方のオプショ
ンの限られたジャパンの場合、高いレベルのフィットネスで、サモア戦のブレイクダウンの再現を毎試合続けるしかない。6月7日(日本時間8日午前10時)
に迎えるカナダ戦では、1週前のサモア戦の出来が、ジャパンのスタンダードになったのか、まだそこに至ってないのかを見極める場となる。

 
一方、サモア戦では、ジャパンの失点、ピンチの場面で露呈した弱点は、これまでどおりの想定の範囲内だった。特に、後半立ち上がりのサモアのたて攻撃とオフロードパスは、ワールドカップでも上位国の基本の武器である。サモア戦では、相手の突破とオフロードを同時に止めるタックルが出来たのはLOトンプソン1人だけ。それゆえ、ジャパンがこれを止めるには、複数のプレイヤーでパスを寸断する方法しかない。リー・ジョーンズ
ディフェンスコーチによる基本のシステム構築の的は絞りやすいといえる。

 ここで、香港戦、サモア戦と生まれ変わったかのように、槍のようにペネトレーターとしてゲインを切っていた、FLのヘンドリック・ツイについてひと言。ビデオで確認できたのが、ボールを持って相手に当たるとき、ツイが常に両手でボールを持ち、ボールを弾こうとする相手の手からボールをプロテクトしていたことだった。ハンドオフの封印で、もうツイの手から、ボールが弾き出る場面はなくなることだろう。

 日本×カナダの日本協会のキャップ試合は、1930年から26戦で日本の13勝、カナダ9勝、4引き分け。日本協会がテスト認定しているブリティッシュ・コロンビア州との4試合の対戦(1930年の日本の遠征での3−3の引き分け、1959年の来日2戦のブリティッシュ・コロンビア州1勝1引き分け、1963年の日本の遠征1試合の日本1勝)を除いたフルインターナショナル(双方テスト認定)の戦績は、1932年から22戦、日本12勝、カナダ8勝、2引き分けである。

 フルテストで、日本が26−21のスコアで、唯一、アウェーで勝っ
た試合は、ちょうど28年前の同じ日、1986年の現地6月7日に同じ競技場バーナビー、スワンガードスタジアムで行われている。その時のメンバーは次の通り: 宮地克実監督、1.八角浩司、2.藤田剛、3.相沢雅晴、4.林敏之(主将)、5.大八木淳史、6.越山昌彦、7.ホポイ・タイオネ、8.千田美智
仁、9.小西義光、10.松尾勝博、11.大貫慎二、12.平尾誠二、13.朽木英次、14.ノフォムリ・タウモエフォラウ、15.向井昭吾。

【筆者プロフィール】
小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)
ラグビージャーナリスト。1949(昭和24)年、東京生まれ。立教大卒。貿易商社勤務を経て画家に。現在、Jスポーツのラグビー放送コメンテーターも務める。幼少時より様々なスポーツの観戦に親しむ。自らは陸上競技に励む一方で、昭和20年代からラグビー観戦に情熱を注ぐ。国際ラグビーに対する並々ならぬ探究心で、造詣と愛情深いコラムを執筆。スティーブ小林の名で、世界に広く知られている。ラグビーマガジン誌では『トライライン』を連載中。著書に『世界ラグビー基礎知識』(ベースボール・マガジン社)がある。

(写真:2014年5月30日の日本代表×サモア代表戦/撮影:松本かおり)

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