【直江光信コラム】 やり切ったか否か
頂点よりいくらか手前、たとえば大学選手権のセカンドステージあたりでシーズンを終えたチームの監督やキャプテンの口から、試合後の記者会見でこんな言葉を聞くことがよくある。
「ここで終わるのは残念ですが、この1年やってきたことは出し切れた。その点は満足しています」
振り返れば新チーム発足当初は苦難の連続だった。それぞれがバラバラの方向を向いていて、意見が衝突することもしばしば。あれほど忘れまいと誓った前年の悔しさ、スタート時の緊張感はいつの間にか薄れ、つい練習の空気は緩みがちになる。そうこうしているうちに驚くほど早く時は過ぎ、迎えた秋の公式戦。不安は的中し、思うような戦いができないままリーグ戦は進む。それでもなんとか選手権出場を果たし、強豪に挑戦する機会を得た。チームとは不思議なもので、時として相手が強大なほど結束することがある。力の差はいかんともし難かったものの、内容的には今季一番といえるような一体感ある戦いができた。残念ながらシーズンはここで終わってしまうけれど、最後にこんなゲームができてよかった――。
感慨のにじむコメントに、取材者として様々な想像をめぐらせる瞬間である。いろんな苦労があったんだろうな。ここまで来られて、最後にやり切ったと思える試合ができてよかったな。取材を通じて接する機会が多いチームほど、共感も深い。
しかしその一方で、こう感じてしまうことも、時々ある。
本当に持てる力のすべてを出し切れたのか。いまのその気持ちで今日までの日々を過ごせていれば、もっと違った結果を残せたのではないか。
新しいシーズンが始まったばかりのこの時期に、なぜこんなことを書くかといえば、いざ最後の瞬間を迎えた時、「やれることはすべてやった」と言い切るための戦いは、もう始まっていると思うからだ。
人間、どれほど固く心に誓ったことでも、それをやり通すのは難しい。時間が経つに連れてピンと張っていたはずの気持ちのテンションは少しずつ緩み、つい「これくらいはいいだろう」という方へ傾いてしまう。シーズン開幕が迫り、「こんなはずじゃなかった」と気づいた時は、もうすでに遅い。
そこからあわてて軌道修正し、なんとか立て直したとしても、最初に思い描いていた高みにまでは到達しない。目標の下方修正は避けられないだろう。それでも「こんなはずじゃ…」と途中で気づくことができればまだいいほうで、気づかないまま底の底まで沈んでしまうケースだって多々ある。
いよいよこれが最後となれば得体の知れない底力を発揮するのも人間だ。最終学年の選手ならなおさらだろう。もちろん、紆余曲折ありながらの最後の試合で、チーム一丸となってその年一番のパフォーマンスを発揮できたら、「力を出し切った」と言いたくなる気持ちはわかる。でも、それはあくまで「その時のベスト」であって、本来持っている能力をすべて引き出した上でのベストではない。
この「持っている力を最大限引き出す」という部分において、現在もっとも優れているのが帝京大学だろう。目標を達成するためにすべきことを誰もが強く認識し、気を緩めることなく、一歩一歩地道な努力を積み重ねることができる。一日の練習、ひとつのプレーもおろそかにしてはならないという意識が隅々まで浸透している。だからこれほど勝ち続けられる。
あれだけいい選手が揃えば。そんな声をよく耳にする。確かに個々の優秀な資質も、強さのひとつの側面ではあるだろう。でも本当にそれだけだろうか。メンバー表の1番から15番までを横に並べ、高校までの経歴や当時の評価などを見比べた時、果たしてスコアほどの差があるだろうか。
新入生が入学する4月からシーズン終盤の12月までおよそ36週、毎週5日練習すると仮定して、クラブのトレーニング日数は180日ほどだ。1日の充実度が5パーセント違うだけでも、それが180回積み重なれば大きな差になる。「今日くらいはこれで大丈夫」と「1日たりともムダにはできない」の違いは、はかりしれない。
先日、「ラグビークリニック」誌の取材で、この春の全国高校選抜大会に優勝した東福岡高校のグラウンドを訪ねた。練習を見て驚いた。ハードなコンタクト練習の合間に行うシャトルランで、全員がきちんとラインをまたぎ、両手を地面について折り返す。コーナーを曲がる時にショートカットするような選手もいない。コーチに強制されてそうするのではなく、「それが当然」という空気がグラウンドに充満している。年齢も体格も違うのに、ふと「帝京と同じだ」と思った。
強いチームには、強い理由があるのだ。
【筆者プロフィール】
直江光信(なおえ・みつのぶ)
スポーツライター。1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。