コラム 2014.01.31

明日、給水係がいない  向 風見也(ラグビーライター)

明日、給水係がいない
 向 風見也(ラグビーライター)

 ウォーターボーイは誰か。それが問題だ。

 日本最高峰トップリーグの強豪チームのある主力格は言った。試合時に出場メンバーに入らなかった選手の務める給水係は、とても重要なパートなのだと。

「誰でもいいと思われがちですが、そんなことはありません。チームの戦い方をよく知っていて、試合の流れをわかる選手じゃないとダメなんです」

 ゲームは、選手およびその代表者たる主将のもの。準備期間に全ての仕事を終えた監督やヘッドコーチは観客席でじっくり観戦する。これが本来のラグビー界の不文律である。ただ現代は大抵、スタンドに座る指揮官はトランシーバーを持っている。選手交代や戦況に応じた助言など、あらゆる指示がグラウンドレベルのスタッフに伝わるのだ。そしてゲームが途切れた折にその内容を戦う仲間に報告するのが、給水係の給水以上に大切な仕事である。

 刹那、問われるのは、声をかける間合いと発言内容のセンスだ。

 首脳陣が課題を無線で飛ばす。プレーは途切れない。ウォーターボーイは5分後、得点が動いたところで聞いた言葉を伝えに走る。しかし、指示内容が「5分の間に選手同士で話し合い、徐々に遂行されつつあるもの」という時がある。また、ここからは繊細な話だが、監督の指摘した問題点が選手目線によるそれとはかけ離れている場合もある。そんな折、チームの戦術戦略やその場の空気感を踏まえた上でほどのよい伝達をするのが、「選手のための給水係」なのだ。

 キャリアの浅い若手にとっては、イヤホンに入った指示を正確に伝えようとの思いが過剰になるためか、そのあたりの塩梅が難しいらしい。話主の主力格は言う。「そういう奴って、まず僕らの輪のなかに入ってくるのが下手くそですよね。言っちゃいますもん。お前は外に出ておけ、って」。一般的には、負傷欠場中のレギュラーや古参選手が望ましいのだと続けた。

 そう。何事もよき塩梅が求められ、過剰は禁物なのだ。

 ここ数年、日本の若年層のラグビーチームにあって、過剰とされるシーンは多い。
 
 年末年始、大阪は近鉄花園ラグビー場での全国高校ラグビー大会。

 年代屈指の名手がいれば、その人は試合後、必ず記者に囲まれる。選手によってはその場に立ち止まりながら応答するものだ。

 もちろんチーム側としては、インタビューなんぞよりさせたいことは山ほどある。怪我予防の整理運動や、風邪対策やスケジュール遵守のための早い着替えなどがそれにあたる。「そろそろ、いいですか」。スタッフがそう言って話を止めたくなるのも当然だろう。

 ただ、なかにはこれら諸々の事柄を過剰に意識するあまり、取材対象の選手の背中を押し、早めにロッカールームに押し込めようとする控え部員もいる。早足で歩かされる選手、それを促さざるを得ない青年の心境やいかに。

 18歳で日本代表に入った現早大2年の藤田慶和は、2012年正月まで約3年間、東福岡高の俊足FBとして花園に出た。いまより線は細かったが、身長は当時から180センチ超。国内10代後半によるコンペティションにあっては、明らかに別格の部類だった。学年を重ねるごとに注目度は高まり、大会序盤は舞台の「第3グラウンド」から「第1グラウンド」の1階にある控え室まで、複数人の「大人」を引き連れていたものだ。

 周りに「背中の人」はいたか。否。藤田は矢継ぎ早に放たれる質問を硬軟織り交ぜて処理し、控え室入り口で「では、失礼します」とその場を離れ、着替え終わりを待っていた記者にも「先にうがいをしてからでいいですか」と洗面台に立ち寄ってから、取材の続きに付き合っていた。過剰かもしれぬ周りの配慮の代わりに、個人の自律の精神がそこにはあった。

 きっとこういう意見もあろう。「藤田はスターだから特別」。果たしてそうか。慶和青年は、京都で会社経営者の父からラグビーを教わり、15歳の頃から福岡で寮生活を始め、人とは違ったかもしれぬ才能を磨くことのできたただの日本の高校生だった。学窓で同級生とノートに「遊びで」サインの練習をしあう、強いラグビークラブのいち部員だった。宇宙から舞い降りたのでも、桃から生まれたのでもない。アスリートとしては特別だが、人としては「特別」ではない。ウォーターボーイの件でも触れたように、そもそもラグビーは選手のものである。万事、自分で決断し、最適な行動ができる人に適した競技とも言えるのだ。

 楕円球界に限らず、過剰な反応や声明が世界を狭める向きは枚挙に暇が無い。

 例えば、児童養護施設を描いたテレビドラマの作品世界が現実のそれとあまりに違い、主人公たちと似た環境を生きる人々に弊害がもたらされたとする。民主国家であるがゆえ、問題提起や議論が発生するのは自然な流れだろう。ただ、それらの論説が「嫌なら観なければいい」「フィクションが子どもに悪影響を与えるのは、その程度の想像力しか育めない社会の責任」との一線を越えたらどうか…。ともかく、何事においても過剰でないよき塩梅を見つけられたら、グラウンドも地球も広いと気付くだろう。「輪のなかに入ってくる」のが上手な給水係や第三者と自然に接する高校生ラグビーマンは、きっとその域に達している。

【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
ラグビーライター。1982年、富山県生まれ。楕円球と出会ったのは11歳の頃。都立狛江高校ラグビー部では主将を務めた。成城大学卒。編集プロダクション勤務を経て、2006年より独立。専門はラグビー・スポーツ・人間・平和。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)がある。技術指南書やスポーツゲーム攻略本の構成も手掛け、『ぐんぐんうまくなる! 7人制ラグビー』(岩渕健輔著、ベースボール・マガジン社)、『DVDでよくわかる ラグビー上達テクニック』(林雅人監修、実業之日本社)の構成も担当。『ラグビーマガジン』『Sportiva』などにも寄稿している。

(写真:ラグビーの試合で重要な役目を担っている給水係/撮影:松本かおり)

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