コラム 2013.11.29

曲がりくねってたどりついた。  向 風見也(ラグビーライター)

曲がりくねってたどりついた。
 向 風見也(ラグビーライター)

 ようやく、ようやくである。2013年11月15日、ウェールズはコルウィンベイ。世界ランク19位のロシア代表戦だ。後半28分、日本代表のWTB山田章仁がグラウンドへ入る。28歳にして、テストマッチ(国同士の真剣勝負)デビューを飾った。

「触られないのが理想」。ジャンプ、ターン、急停止。予測困難な動きで相手をセンチ単位、ミリ単位でかわしてインゴールへ直進する。慶大のエースとして華のあるプレーを連発し、2012年度はパナソニックの一員として日本最高峰トップリーグ(TL)のシーズントライ数最多記録を「20」に更新。多くの国内ラグビーファンに注目されてきた。

 そんな山田は、エディー・ジョーンズ ヘッドコーチ(HC)とふるくから親交がある。

 ジョーンズHCは、山田の学生時代に慶大の指導を手伝ったことがある。当時本人が望んでいた海外挑戦に関し、いくつかのアドバイスを施したものだ。サントリー監督時代も、ジョン・カーワン前HCがジャパンに選ばなかった山田を「トライセンスがある」と賞賛していた。

 自らが率いる代表チームではしかし、この人には手厳しかった。

 2012年春、ジョーンズHCが最初に発表したメンバーには、「YAMADA」の文字はなかった。その前年度の山田は、ミスにミスを重ねていた。「いつまで休んでいる!」。シーズンの終盤、サントリーの監督だったジョーンズHCは、外苑前のカフェで本人に雷を落としたらしい。

「もっと身体を大きくしなさい。ボールタッチの回数を増やしなさい」

 ジョーンズHCからのそんなアドバイスを参考にし、2012年度、山田はトライ王を獲得する。「触られないのが理想」との意識を保ちながら、スマートであるより泥臭くあろうとした。試合序盤から攻守両面で直線的なランを繰り返し、試合終盤はガス欠の状態で、それでも走った。従来は勝負の肝となる場面で活躍するためペース配分をする向きがあっただけに、このマイナーチェンジは特筆すべきものだった。

 シーズン中、山田は日本代表にも選ばれ欧州遠征に参加した。フランスのプロリーグ選抜であるフレンチバーバリアンズとのゲームに、ジャパンXVの一員として出場。ここでもゴールラインを割った。これはテストマッチではなかったが、代表選手としての立ち位置を確立しそうではあった。

「日本では通じるけど、インターナショナルプレイヤーではない」
 
 指揮官からそう言い放たれたのは、2013年春の代表候補合宿だった。山田はチームを離れることとなった。理由はこうだ。「練習中のアグレッシブさが足りない」。6月15日、東京・秩父宮ラグビー場で欧州王者のウェールズ代表を下した際、山田の働き場には追加招集された大学生が入った。

 言い訳が嫌いな山田だが、事実上の強制送還が決まった際は複雑な思いを抱えていた。というのも、本番でチームを救う走りを繰り出すうえでは、練習での試行錯誤が不可欠と考えていたからだ。

「触られないんだから、相手がオールブラックスでも小学生でも同じ、というのが目指すところ(注:理想を実現できればゴールラインまで誰にも触られずに進めるのだから、対戦相手の実力には左右されない、との意味か)。逆に、オールブラックスを抜くためのことを試していると、小学生には止められちゃうこともあるかもしれないですね」

 例えば、実戦形式の練習中。どの間合いで、どの程度の大きさのステップを踏むか。パスを受けるたび、あれこれ考えながら歩を進める。目の前の相手より、もっと向こう側のテストマッチ本番での相手をイメージしながらだ。そんな調子だから、どうしたって動きはスローになる。

 とはいえ、目の前の相手はメンバー入りに必死な候補選手である。ボールを持てば大抵、山田は簡単にタックルをもらった。無論、指揮官は、いち候補選手の脳内など知る由もない。わかるのは「トライ王が、身体をくねらせる間に潰された」という現象だけで、「試合でしているように、なぜやらない」と怒るのも自然な流れだったろう。

 おそらく、これが「練習中のアグレッシブさが足りない」の具体的事例だ。見方によっては、山田は誤解されているようでもあった。

 もっともこの人、競技生活を通して少なくない誤解をクリアにしてきた経緯がある。

 慶大時代は「個人をレベルアップさせてチームに貢献したい」という対外的大儀を掲げ、大学2、3年時はオーストラリアへの短期単身留学を重ねた。大学卒業から約1カ月後に入った当時下部リーグ所属のホンダでは、注目度を高めるべく長髪を編み上げてグラウンドに立った。初のトライ王となったシーズンは、アメリカンフットボールの社会人Xリーグに挑戦した。こちらもラグビーの周知、そしてランナーとしての視野の拡張が目的だった。

 ここに掲げられたのはほんの一例で、他人が聞いたら驚く言動は枚挙に暇がない。何かあるたびに人からモノを言われ、へこたれず、柳のように佇み、相応の結果だけは残してきた。

 例えば、ホンダがTLで戦う2009年度開幕直前。「股関節あたりに違和感がある」からと夏合宿を回避した際の発言は――。

「もしそう(無理をして合宿に行く)したら、それは本当の自信のない人がすることなのかなって思ったので。色々言われるのは、大学の頃に慣れました。望んでそうなったわけではないですが」

 2010年度に三洋電機(現パナソニック)入り。激しいポジション争いに際しても、軸をぶらさなかった。

「人のことはコントロールできないので」

 そして、ホンダではチームこそ降格も8トライをマークし、三洋電機ではシーズン終盤のTLプレーオフでMVPに輝いたのだ。

 もし、指揮官が誤解をしているのなら、その誤解を解けばいい。2013年夏、山田は単身でニュージーランドのオタゴへ渡り、ITMカップの同地方代表入りを目指す戦いに参戦。国内より激しい肉弾戦に身を捧げ、ジョーンズHCのいう「アグレッシブ」の意味がわかってきたように感じた。

 帰国後は「今年はトライが少ないですね」と言われながら、相手に捕まった際の確実なボールキープに注力。普段は試合前にも知人に笑顔を向ける山田が、9、10月に都内であった代表候補合宿では神妙な顔つきだった。「1回、1回の練習をアグレッシブにやるだけなので」。1年ぶりの代表メンバー入りを果たし、ロシア戦でデビューを果たすのである。

「いままでは、気持ちを前面に出さないというのが課題の1つだったので、気持ちを前面に出していこう、と」

 今後は福岡堅樹(筑波大)、藤田慶和(早大)らとのメンバー入り争いが待っている。しかし以前、年下の選手が活躍することにはこう見解を示していた。

「ぜんっぜん、気にならないです。彼らは彼らで頑張って欲しいし、僕は自分にベクトルを向けてやっていきます」

 何かと誤解されがちではあるものの、近くにいる人には「人の悪い話をしない」からと、かなり、好かれている。

 


 


【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
ラグビーライター。1982年、富山県生まれ。楕円球と出会ったのは11歳の頃。都立狛江高校ラグビー部では主将を務めた。成城大学卒。編集プロダクション勤務を経て、2006年より独立。専門はラグビー・スポーツ・人間・平和。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)がある。技術指南書やスポーツゲーム攻略本の構成も手掛け、『ぐんぐんうまくなる! 7人制ラグビー』(岩渕健輔著、ベースボール・マガジン社)、『DVDでよくわかる ラグビー上達テクニック』(林雅人監修、実業之日本社)の構成も担当。『ラグビーマガジン』『Sportiva』などにも寄稿している。


 


 


(写真:いろんなことが頭の中にあるフィニッシャー、山田章仁/撮影:松本かおり)


 



 

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