コラム 2013.11.14

『善戦』に死を。  小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)

『善戦』に死を。
 小林深緑郎(ラグビージャーナリスト)

 11月9日のテストマッチ、<スコットランド ○ 42−17 ●日本>の1試合を見て帰国した。今回は、スコットランド戦のジャパン応援ツアーの一員として参加し、一行17人と一緒に思い切り声を出して、「ニッポン」チアーを送り続けた。

 興奮が頂点に達したのは、後半11分のウイング福岡堅樹2本目のトライの場面だ。もちろん「イエ〜〜ス」と絶叫した。FB五郎丸歩のコンバージョン成功により、2度目の1点差へと詰め寄った時には、日本の勝利の夢が現実に変わる空気を感じた。青ざめる現地サポーターたち、いや顔色までは観察できなかったが、周囲の観客席の沈黙ぶりからは、ショックの大きさがヒシヒシと伝わってきたのだが……。

 しかし、喜びもつかの間、2分後の日本の反則から相手の14番、アメリカはテネシー州はナッシュビル生まれのシーモアに彼2本目のトライを浴びて、点差が6点に開く。この試合では、ジャパンが得点しても、すぐに相手に返される良くない流れが続いた。後半20分、運命のNO8コリーへのイエローカード。

 試合後の記者会見で廣瀬キャプテンが、シンビンの頃から「疲れが出た」と話したように、この後、我慢のディフェンスが持ちこたえられずに3トライを喫してしまう。あっさりとられた最後の2トライは余計であった。

 帰国して目にした日本のある新聞には、『スコットランドに善戦』の見出しがあったが、20キロメートルも的が外れている。まず両国の状況を比べてのアドバンテージである。1週前に世界No.1のオールブラックスと戦ってきたジャパンが得た自信は、疲労感以上に大きく、準備としても有益なものだ。対するスコットランドは選手を招集したばかりで、ジャパン戦が11月のテスト戦の幕開け、コンビネーションも整っていないという違いがあった。

 そして、今回の遠征で、ジャパンは6月のウエールズ戦の初勝利を追い風に、世界のトップ10国のスコットランド(IRBランンキング9位)に「当然」という気持ちで勝ちに行ったわけである。

 相手のスコットランドは、昨年、豪州ワラビーズに勝っているが、11月にはトンガに敗れて、アンディ・ロビンソン監督が引責辞任したように、高い潜在能力を発揮するかと思えば、思わぬ相手に敗戦を喫する歴史があり、世界トップ10の国のなかでは一番脇の甘いチームなのだ。

『善戦』とは負け犬の発想であり、努力してその呪縛をかなぐり捨てた、いまのジャパンに何らプラスの力を与え得ぬ言葉なのである。相手がオールブラックスならともかく……2012年11月24日から2013年2月4日までIRBランキング12位に甘んじていたスコットランドをそんなに敬い奉る必要はない。2013年のジャパンにふさわしい言葉は、『善戦に死を』ということだ。

 この試合はジャパンにとって、『マレーフィールドの蹉跌』と呼ぶべきものだった。つまり失敗だ。試合の入りのディフェンスでスコットランドのFWの後ろ5人(特にNO8デントン)の執拗な縦への突破をオールブラックス戦の時のように止めきれず、長いフェーズに渡ってゲインラインを越え続けられたことが、結果としてゲーム終盤の疲労につながった。

 しかし収穫は2年後、2015年W杯での勝利のイメージが湧いたことだ。トライはジャパンに3つ必要で、相手を2〜3トライ以内に抑えること。それにはバックスのラン・スピードを上げることが欠かせない。ワイズマンテル・ヘッドコーチ代行の指摘どおり、セットプレーの強化、ゲームズマンシップの不足(テンポを遅くする場面の共通認識を持つ)を経験から学ぶ。そして、この相手クラスのフィジカルに対抗できるよう、フィットネスの不断の強化を継続することである。間違えなくジャパンは正しい道を歩んでいる。

【筆者プロフィール】
小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)
ラグビージャーナリスト。1949(昭和24)年、東京生まれ。立教大卒。貿易商社勤務を経て画家に。現在、Jスポーツのラグビー放送コメンテーターも務める。幼少時より様々なスポーツの観戦に親しむ。自らは陸上競技に励む一方で、昭和20年代からラグビー観戦に情熱を注ぐ。国際ラグビーに対する並々ならぬ探究心で、造詣と愛情深いコラムを執筆。スティーブ小林の名で、世界に広く知られている。ラグビーマガジン誌では『トライライン』を連載中。著書に『世界ラグビー基礎知識』(ベースボール・マガジン社)がある。

(写真:スコットランド代表を苦しめるも、マレーフィールドで歴史的勝利を逃した日本代表/撮影:志賀由佳)

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