コラム 2012.11.01

タトゥーなし  藤島 大(スポーツライター)

タトゥーなし
 藤島 大(スポーツライター)

チームの広報やマネージャーが、少し、困った顔をする。みんな紳士淑女だから露骨には求めない。こんな感じだ。



「写真の撮影、できればタトゥーのないほうから…」



おもにパシフィック・アイランダー、あるいはそこにルーツを有するニュージーランド生まれの選手の取材現場で耳にするささやきだ。



タトゥー。ポリネシアでは「タァタウ」と呼ばれる。もともとはタヒチ語だ。
「J SPORTS」の解説をしていて、選手のそれが大写しになると、つい「これはサモアやトンガやマオリの人たちにとっては家系や宗教儀式とも密接な伝統文化なのです」と説明してしまう。どこかに「視聴者に誤解されないように」という心理がひそんでいる。日本の入れ墨は、かつて刑罰として用いられた(職人などが自分の意思で施すのは彫り物)。どうしても印象はよくない。



ワラビーズのSH、ウィル・ゲニアは、ニューギニアの高名な大臣経験者の息子である。それでも上半身裸になるとタトゥーがある。まあ、お坊ちゃんも彫り物を好むのだから文化なり、と考えるのは偏見のひとつだろうが、少なくともアンダーグラウンド、もしくはその近辺の専有でないとは理解できる。



長いこと国際ラグビーに取材者・解説者の立場で接していると、いつしか「アイランダーにはみなタトゥーあり」と思い込んでしまう。でも違った。



先日、ヤマハ発動機のある選手と会ったら、雑談のおりに教えてくれた。



「ジェリー・コリンズ、タトゥーありませんよ」



えっ。思わず発声してしまった。ジャーナリズム失格の先入観ゆえだ。あのサモアの血に誇りを持ち、自由な魂を抱き、ハードマンとして鳴らす戦士が「タトゥーなし」とは。正直、意外だった。コリンズは、ニュージーランドに生まれ育ったサモア系だから、そのせいかもしれないと考えたが、同じような背景のソニー=ビル・ウィリアムズ(パナソニック)は伝統の様式を下半身にまで堂々と展開しているから、当たり前だけれど、ひとりひとりの問題なのだ。



それより前、九州出張の際、コカ・コーラウエストの部員と鶏の鍋を囲む機会があった。今季加入のサモア代表CTB、エリオタ・サポルの話題になった。昨年のワールドカップ期間中、強豪国が最初から有利な日程などIRBの商業主義にツイッターで鋭く噛み付き、物議をかもした男だ。その際の個人的に好きな言葉はこれ。



「ルールはルールなのか。そうではない。もし女性参政論者がルールに従っていたら投票権はなかった」



サモアの首都アピア生まれの話題の論客(オークランドで弁護士資格取得)が来日したとあって、興味津々、いろいろと聞いていたら、やはり「タトゥーなし」と判明した。自宅に遊びに行ったチームメイトにこう言ったそうだ。



「サモア人の誇りは脳に刻む」



いかしている。むしろ長いものに巻かれぬ感じもあるではないか。ポリネシアン=タトゥーありきではなかった。さて日本の若き選手に助言を。タトゥーはよしたほうがよい。プールやサウナへの入場を制限されるのは周知だろうが、プロになり、活躍を遂げ、世界のスターにのぼりつめても、半そでからそいつが覗いただけでコマーシャルに出づらくなる。


 


(文・藤島 大)


 


 


 


【筆者プロフィール】


藤島 大(ふじしま・だい)


スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビーの情景』(ベースボール・マガジン社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『楕円の流儀 日本ラグビーの苦難』(論創社)、『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐』(文藝春秋)、『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『ラグビー特別便 1986〜1996』(スキージャーナル)などがある。また、ラグビーマガジンや東京新聞(中日新聞)、週刊現代などでコラム連載中。J SPORTSのラグビー中継でコメンテーターも務める。



 


(写真:PNCで来日したときのサモア代表。サポル(前列右)の太い腕にはタトゥーなし / 撮影:BBM)

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