【田村一博コラム】 『受け入れます。差し上げます』
大学3年生の時から3年間一緒に住んだタツルは、おとなしい男だった。
同じクラブでFL。青森・津軽半島の出身で小柄、無口で酒に弱い。足は遅く、レギュラーでもなかった。
そんな目立たない男だけど、ただ、ひとつだけ得意なプレーがあった。キックチャージだ。猛タックルなんてないけれど、タツルの腕や腹、ときには顔に、相手のキックはよく当たった。
「なんかお前、チャージよくするよね」
そう言われるとタツルは、いつも照れながら言った。
「そうなんだけど、よく分かんないよ。タックルに行ってるだけなんだけどさ」
勇気と運、そして、しつこさだけが、その要素みたいに思われがちなキックチャージ。だけど、そこに理論を持つ男がいる。九州電力のベテラン、吉上耕平。9月1日に行われた、今季トップリーグの初戦では背番号7を背負い、福岡サニックスを相手に2度、キックを叩き落とした。実はこの春に酒席をともにしたとき、「チャージ王を狙いますよ(笑)」と耳打ちされていた。
「どうして(チャージを)できるのか分かりますか?」
宣言時、そう尋ねられて首を傾げていると語り始めた。
「変わったんですよ、ルールが変更されてから。テイクンバック後のキック。22メートルライン内に戻してから蹴る場合、(ダイレクトでタッチに出ると戻されることになったから)キックの軌道がこれまでより(ピッチの)内向きなんです。そして低い。狙えます」
職場では、原料の買い付けを担当。そのため為替の動きに敏感で、海の向こうに気を配る毎日を過ごす。細やかな神経はピッチでも変わらぬままだから人が気づかぬ点に着目し、自分の生きる道を探る。そんな積み重ねがあるから入社15年目、37歳で迎えたシーズンも、80分のフル出場でスタートできた。
吉上耕平の芸術的チャージを目撃した9月1日の九州ダービー、福岡サニックス×九州電力を取材後、夜の街に繰り出した。前夜のサントリー×NECで開幕した、今季のトップリーグ。これから2月末まで、日本ラグビーのいろんなカテゴリーで戦いが繰り広げられる。多くのラグビー愛好者たちと酒場で触れ合う機会が増す。待ちに待った季節の始まりでもある。
博多の夜は、元日本代表、平野勉さんと酒場で隣になった。走り続けるしつこさと激しさで、その時代のFLでトップランナーだったことは間違いない好漢。しかしテストマッチの出場機会に恵まれず、桜のジャージーを着て6試合を戦っているのにキャップはない。1989年のスコットランド戦、ジャパンが宿沢広朗監督の指揮のもとで大金星を挙げた試合も、最後までリザーブ席に座ったままだった。
盛岡工業高校から、かつて西日本社会人リーグの強豪だった日新製鋼に入社して活躍。その後、九州電力でもプレーを続け、いま、九州産業大学で女子ラグビーの指導にあたる。数年おきに取材、いろんな話しを聞く場を与えていただいているが、リザーブ席に座り続ける中で強くなったメンタリティーは、取材者の記憶に深く刻まれている。
テストマッチのメンバーに選ばれるだけで名誉なのに、出場機会が与えられない。歴史的試合の一員のはずなのに、その名が記録に刻まれぬ歯がゆさを話してもらった時、平野さんは「現実を受け入れられる人間になった」と言った。
誰より努力した自負もあれば、ライバルと同じ結果を残す自信、いや、それ以上のプレーをやる覚悟もある。だけど、どうしようもないのである。指揮官が声をかけてくれるまで、ベンチに座り続ける以外にやれることはない。
「高校から会社に入り、すぐにレギュラーになった。その後も、いつだって試合に出られるのが当たり前でした。そういう生活の中では分からない気持ちを、ジャパンから持ち帰ったと思っています」
努力なしに栄光はつかめぬが、果たして、努力は必ず報われるものなのか。天を信じて、裏切られた気持ちになる現実なんていくらでもある。だから、ただただ目の前の現実を受け入れる。平野さんは、若くしてその境地を知った。
「だからいまラグビースクールで子どもたちを教えていても、リザーブの子のことの方が気になり、声をかける自分がいるんです」
現実を受け入れる−−。勝負の世界で生き続けるうえで重要なファクターを考えるとき、必ず思い出すシーンがある。
2008年11月16日、秩父宮。その日行われた東京都の花園予選決勝で、東京高校が明大中野高校に勝った。スコアは10−7。惜敗した明大中野、大和貞監督は言った。
「負け惜しみでなく、この勝利はあちらに差し上げます。東京高校はよく鍛えられ、素晴らしいチームでした。それに対しウチの子どもたちも立派、最後まで崩れることがなかった。それでダメだったんだから差し上げます。そのかわりウチの子どもたちは大きなものを手にできた。あれだけタックルしても、あれだけ頑張っても、思いが通じないことがある。それを身をもって経験できたんですから。社会に出たら、必ずそんな困難と出会います。子どもたちは、この歳にしてそれを知った」
円陣で涙をこらえていた大和さんは、部員に背を向けた途端泣いていた。
闘志あふれるプレーで、元日本代表FL。現役時は戦艦・大和と呼ばれたと聞くが、子どもたちにとっては母船のような存在だった。学校の先生ではないけれど、真の教育者だった。
ふたたび博多の夜。平野さんと逆側の隣には、地元で高校ラグビー部を指導する先生が座っていた。当日の試合のこと。福岡のラグビー熱のこと。酒と会話がすすむうち、話題が今春の高校ラグビー、福岡県大会準決勝になった。東福岡高校×福岡高校(33−33)、筑紫高校×小倉高校(5−5)の両試合とも引き分け、抽選で決着がついた当日、先生は抽選の現場を見つめていたそうだ。
「どのキャプテンも静かに抽選に臨み、その場で結果を知っても、お互い何も態度が変わらない。そのまま自分たちのチームのもとへ戻っていくから、どちらが勝ったか分からないほどでした。それを見て、あらためて思ったんです。こげんチームを作らんといかん、と」
ピッチの上も、その周辺も、ラグビーにはいろんなストーリーが詰まっている。そして、それらが語られるのは酒場ということも少なくない。だから試合後、自然と足が向くのである。普段は無口な男も口を開き、多くの人が心を開く場所へ。
(文・田村一博)
【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。89年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。
(写真:福岡サニックス×九州電力。ラインアウトでブラッド・ソーンと競る吉上耕平/撮影:BBM)