【直江光信コラム】 月明かりの下のランパス
夏といえば合宿の季節である。ちょうど今ごろは全国各地の山や高原で、多くのラグビーマンが厳しくも充実した日々を過ごしておられるところだろう。
かつて夏合宿といえば、「地獄の」や「恐怖の」といった形容で語られるのが常だった。とりわけ高校ラグビーの合宿は、そうした逸話に事欠かない。ここでいくつかの印象的なエピソードを紹介してみたい。
山梨県立日川高校は、花園ベスト4の常連だった1980年代から90年代にかけて、伝説的な猛練習で知られた。OBで現在は桂高校の監督を務める岡昌宏先生が、夏合宿でのこんな経験を教えてくれた。
「午後2時から始まった練習がずっと続いたんですが、そのうち夜になって、月明かりの下で延々とランパスをやりました。気がついたら、朝日が昇っていました」
当時は1年生、まだラグビーを始めて数か月の青年にとって、それは想像を絶する世界だったに違いない。「ついて行くだけで精一杯だったから、ところどころ覚えていない部分もあるんです。たぶん、セービングをした時なんかに、一瞬だけ寝たりしていたんだと思うんですよね」。それでも「朝日が昇った」様子は、いまも鮮明に焼きついているという。
その日川高校出身の松澤友久監督に率いられ、’93年度の第73回大会から花園連覇を達成した神奈川の相模台工業もまた、菅平での過酷な夏合宿は語り草だった。3連覇のかかる’95年シーズン、合宿中最大のターゲットにしていたライバル校との練習試合に敗れると、選手たちはみずから申し出て約25キロ離れた上田駅まで走って往復したそうだ。ちなみに菅平と上田の標高差はおよそ800メートル。車で走っても1時間近くかかる山道である。
コーチとして’93年度の初優勝を経験し、翌年、監督の任を引き継いで総監督の松澤氏とともに連覇を果たした日原修先生(現神奈川総合産業高監督)は言った。
「あの頃、相模台の子どもたちは、自分の人生を切り開くためにラグビーを必死にやっていました。そのハングリーさがあったから、どれほど厳しい練習をやってもついてこられたんです」
そんな時代だったから、もちろん指導者も並の覚悟では務まらなかった。
奈良県の天理高校で2度の全国優勝を成し遂げた田中克己前監督は、同宿の他校がグラウンドを譲ってくれるよう、合宿中は生徒だけ旅館に宿泊させ、自分は山間のグラウンドの横にテントを張って生活した。「ちょうどあの辺やね」。それから数十年後、本人が指差した先には、うっそうと木々が生い茂る森があった。
「いろんなお客さんがきましたよ。狸や鹿、イタチに蛇…。指導者もよくきてくれてね。僕が淹れたコーヒーを飲みながら延々、ラグビー談義をしました」。満点の星空の下で考案された斬新な戦術が日本のラグビーをリードした時代は、たしかにあった。
ちなみに昨年のワールドカップで4位に躍進したウエールズは、大会直前に自国から遠く離れたポーランドの施設でキャンプを張った。基本的な設備しか備えられてないその合宿所で、毎朝5時からフィットネスを中心とした反復練習に取り組み、選手は限界まで追い込まれたという。結果的に「体力ならどこにも負けない」という自信を得たウエールズは、圧巻のランニングラグビーで観客を魅了し、世界の頂点までわずかのところまで迫った。
名将、ウォーレン・ガットランド監督は後に語っている。
「私は代表チームに、所属クラブのような雰囲気を作ることを強く意識していた。そういった意味でも、濃密な時間を共有できる環境が大切だったのです。ポーランド合宿の一番の目的は、選手たちを快適な空間から抜け出させ、肉体的にも精神的にも徹底的に追い込むことでした。オールブラックスとウエールズの集散の違いを具体的に示した結果、その差を埋めるにはフィットネスの向上しかないと理解してくれた選手たちは、みずからをとことん追い込んでくれました」
以前ほど衝撃的な話は聞かなくなったものの、いまも夏合宿における過酷な鍛錬はあちこちに健在だ。当事者にすればそれこそ逃げ出したくなる瞬間もあるだろう。けれど常識的なやり方ばかりでは、常識の範囲内でしか結果は残せない。普通のチームが普通の練習をして普通に戦えば、実力上位のチームには普通に負ける。あっと驚くような飛躍、世紀の大勝利を収めるためには、時に常軌を逸した取り組みも必要なのだ。栄光をつかんだ先達はみな、そうやって彼我の実力差を覆してきた。
9月、ラグビーシーズン開幕。それぞれが味わった試練の真価を問われる時がいよいよやってくる。無論、厳しい練習を重ねたからといって必ずしも望む成果が得られるわけではない。けれど苦しかった夏を越えたいま、いざグラウンドに立てば、ひと回りもふた回りも強くなった自分に気づくだろう。
流した汗と涙は裏切らない。どうかひとりでも多くの選手、ひとつでも多くのチームが、この夏磨き上げた力を存分に発揮し、悔いを残さず戦い抜けますよう。背筋のふるえるような瞬間に立ち会えることを楽しみにして、今年もグラウンドへ通います。
(文・直江光信)
【筆者プロフィール】
直江光信(なおえ・みつのぶ)
スポーツライター。1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。