コラム 2011.05.10

Takashi Kikutani 菊谷 崇 (日本/トヨタ自動車ヴェルブリッツ)

Takashi Kikutani 菊谷 崇
(日本/トヨタ自動車ヴェルブリッツ)

 日本丸の舵取りを任されて2年と半年が経過した。2011年ワールドカップイヤーの航海は、針路を修正しながらも順調に進んでいる。目的地、ニュージーランドが見えるのは間もなくだ。世界中の選ばれし猛者たちと楕円球の勝負を挑み、2勝以上を奪いにいくと力強く宣言した。


 


 2008年秋、新しいリーダーを求めていたジョン・カーワン日本代表ヘッドコーチは、同年11月16日アメリカ戦の日本代表主将に、菊谷崇を抜擢した。御所工業高校、大阪体育大学、そしてトヨタ自動車でもキャプテンとは無縁の男に、指揮官は生来の強いリーダーシップを感じていた。菊谷は責任を与えられ、一皮ずつ成長していくこととなる。
 さすが伝説の元オーブラックスが惚れた男はひと味違った。そのアメリカ戦の前半27分、ゴール前のラインアウトからインゴールに飛び込み、日本で初めて採用されたTMO(テレビマッチオフィシャル)ビデオ判定の歴史的対象者となる。ノートライと宣告されたが、初陣の勝利に勝るものはない。新キャプテンはチームを鼓舞し、アメリカから9年ぶりの勝利を奪った(29−19)。


 


 2011年5月8日時点、日本代表主将として20試合を戦ってきた。結果、15勝5敗。ジュニアオールブラックス、フィジー、サモアから金星を挙げることはまだできていないが、ワールドカップでも最大のライバルとなるトンガとカナダ相手には、いずれも2勝0敗と相性がいい。
 チームがパニックに陥りそうなとき、大きな声でチームをまとめ、うまくコントロールできるリーダーになった。練習前には笑いを誘ってチームをリラックスさせることもある。環境作りも、自ら課したキャプテンとしての大事な使命。「自分には、厳しく言えるスキルはないんで」。プレーヤーとしても向上心を忘れない。


 


 小学校・中学校では野球ボールを追いかけた。楕円球を手にしたのは御所工業高校から。花園出場を果たし、流経大柏戦で1勝を挙げた。大学時代は関西の強豪・大阪体育大学で鍛えられ、卒業後はトヨタ自動車ヴェルブリッツの一員となる。2004年9月19日のワールドファイティングブル戦で、途中出場LOとしてトップリーグデビュー。2009−2010シーズン後、初めてトップリーグのベストフィフティーンに選ばれた(NO8として)。


 


 魅力は、スピードと抜群の運動センスからなるアタック力。大学2年時の1999年に7人制日本代表入りし、2005年のセブンズ・ワールドカップ出場も果たした鉄脚を武器に、7シーズンのトップリーグで記録したトライ数は34本にも上る(04年度:7、05年度:3、06年度:4、07年度:7、08年度:2、09年度:5、10年度:6)。ちなみに、日本代表としては18トライを挙げており、あと2トライで日本代表史上5人目、FW初の通算20トライに到達する。テストマッチにおけるFWのトライ世界記録は、確認されているものとしては元ウエールズ代表NO8コリン・チャーヴィスが記録した22トライが最多だから、数字も彼のすごさを証明している。


 


 2005年11月5日のスペイン戦で日本代表デビューだが、ワールドカップの舞台にはまだ立ったことがない。2007年大会は、膝の故障が響いて代表スコッドから落選した。昨シーズン中に肉離れを起こしたが、完治しており、今度は肉体的な不安材料はない。
 今シーズンの大事な初戦、2011年4月末の香港戦で菊谷率いる日本代表は苦しんだ。それは、「強い日本代表」になる前の、舵を安定させるための、必要な試練だったのかもしれない。
 2011年日本ラグビー界の顔である。信頼すべき、大将である。


 



ポジション: FL
生年月日: 1980年2月24日生まれ(31歳)
出身地: 奈良県
身長: 187cm 体重:100kg
所属チーム: トヨタ自動車ヴェルブリッツ
出身校: 御所工業高校 → 大阪体育大学


 


【国代表】
デビュー: 2005年11月5日 対スペイン
CAP: 37
得点: 90(トライ:18)



※ キャップ数や得点など、データはすべて2011年5月8日時点。

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