リザーブから火をつける。4回生の意地、新和田錬[同志社大/SH]
同志社大の新和田錬は、ひとまず胸をなでおろした。
「勝利できたことがなにより良かったです。夏合宿から自分たちのラグビーができても、なかなか勝利に結びつけることができなかったので」
9月25日、静岡はエコパスタジアムでおこなわれた関西大学リーグ第2節。同志社大は関大に26-25と1点差で今季初勝利を収めた。
前半を終えた時点では12点差を追う展開。宮本啓希監督は、後半開始と同時にHB団を入れ替えた。経験値の高い4年生のSH新和田と3年生のSO嘉納一千を投入したのだ。
その2人が後半2分、いきなり見せる。中盤でのアタックから嘉納が裏のスペースへふわりとキック。それを自らキャッチして味方につなぎゴール前まで迫ると、今度は新和田がラック脇を突いてトライを奪った。
2人は前半からベンチで打開策を練っていたという。グラウンドに立った時には、自分たちのやることは明確だった。
「まずは点差も開いていたので、先制点をどんな形でも取りに行こうと。前半の2トライはアタックをし続けたことで取れたトライ。なので、テンポを上げることとボールをキープすることを優先的に考えてゲームを進めました。それからラインアウトのミスも多かったので、ハイパントに切り替えてできるだけラインアウトを少なくしようと」
まさにプラン通りにゲームを展開できた。新和田の投入でアタックのテンポは確実に上がった。勢いの生まれた同志社大のアタックに、関大は反則を重ねていた。
新和田たちは3回得たペナルティキックをすべてPGに投じる。嘉納が約50㍍のショットを含む3本すべてを得点に変えた。それが1点差勝利につながった。
新和田は際立った40分間を「絶対に逆転しないといけない、4回生としての意地があった」と振り返る。後半最初のトライをはじめ、ラック脇の突破や素早いリサイクルなど、自分の持ち味を存分に出した。
「(テンポを上げるために)ラックにまず先に寄るのは心がけてることです。1人目が寝た瞬間に捌けるのでは、というくらいの気持ちで。名指しで読んで『◯◯越えろ!』とか、FWへのコミュニケーションも意識してます。
サイドの仕掛け、スピードは僕の持ち味。そこで相手にプレッシャーをかけたい。ただ、2試合とも抜けた後に得点に結びつけられてないので、ゲインした後が課題です」
ラグビーマンだった父の影響で4歳から楕円球を追った。中学、高校と、自分の描いた青写真どおりのラグビー人生を歩んできた。
ラグビースクールは2度移籍した。小学4年までは兵庫県RS。5年から芦屋RSに移り、中学からは伊丹RSに通った。
「小学生ながらもっと強いところでやりたいなと。日本一を目指すところでやりたかったんです」
果たして、中学3年時には太陽生命カップで同スクール初の優勝に導く。「小学生ながら」の目標を達成したのだ。
決勝では筑紫丘RCJSと対戦して、22-19と大接戦の末に勝ち切った。2トライの活躍だった。
「レベルの高い集団の中でやってきたので、本気で日本一を目指してやれた。(優勝できて)嬉しかったですね」
高校は、同期の福西隼杜(京産大)や大賀宗志(明大)らが進学した報徳学園では通学時間が長いため、寮生活ができてラグビーと勉強が両立できる学校を探した。
当てはまったのが広島の尾道高校だった。
「中学の時は1、2年であまり出場できなかったんです。尾道のレベルが低いというわけではないですが(笑)、1年生から出られそうなチームで活躍したいなと」
またもそのターゲットをクリアする。
1年時からメンバー入りし、花園の舞台に立った。2年時には9番を背負い、のちに同志社で先輩になる田村魁世(現トヨタV)が率いる桐蔭学園とも戦った(当時、田村はSO)。
大学ではもう一度、競争の激しい環境に身を置いた。「レベルの高い先輩のいるところでやろうと」。1学年上に田村、2学年上には芦屋RSで一緒だった人羅奎太郎(現花園L)がいた。
「2人から一番学んだのは、ラグビーに対する姿勢です。2人とも最後まで残って個人練習をしますし、私生活もラグビーのことを考えながら過ごしていました」
自身のプレータイムが増えたのは、昨季の京産大戦から。田村の負傷により、この試合は前半21分から出番が回ってきた。以降、先発機会を複数回得る。大学選手権の大東大戦ではフルタイムで出場した。
「なんとか役割を全うしなければと。田村魁世さんの代わりという重圧もありました。でも、やっと自分の番が回ってきたという気持ちもあって。僕の持ってるものは出そうと心がけてました」
順当にいけば今季は正SH。しかし、開幕2戦は2学年下の後輩、藤田海元にその座を譲っている。
春に膝の膝蓋骨など2度骨折し、長い間、戦列を離れていた。7月後半に復帰も「FW、SO、BKとタイミングをまだ合わせ切れてない感じがあります」。
10月9日の摂南大戦でも、引き続き21番での登録だ。途中出場から、もう一度勢いを作りたい。
「これから相手は強くなっていくので、僕らはもっと成長しないと勝てない。練習からより厳しくやっていかないといけません。(関西優勝へは)残り全部勝たないといけない状況なので、勝つしかない、いまはその一心です」
同志社の火付け役になる。