クリケットでも凄腕。グリーンロケッツのジェイク・ボールは、南北旅した国際派。
身長199センチ、体重121キロの体躯で、あごひげをたくわえて接点の周りへ突っ込む。防御の壁を数センチは切り裂くから、味方は勢いに乗って次の攻めに移れる。
ジェイク・ボール。ラグビーのウェールズ代表として通算2度のワールドカップに出た30歳だ。屈強さの求められるLOに入り、空中戦のラインアウト、防御時の肉弾戦でも身体を張る。
所属するNECグリーンロケッツ東葛は、加盟するリーグワン・ディビジョン1で第14節まで実戦未勝利。「最優先の目標は、勝つこと」と現状をシビアに捉えるが、普段はユーモアのある話しぶりでも知られる。
話題は代表活動について。2019年のワールドカップ日本大会で、ボールは青年期を過ごしたオーストラリアの代表チームとプールステージで対戦していた。
この時、29-25で勝った所感を問われると、まずは「この大会ではオーストラリア代表に勝つのが重要でした。それによって、準々決勝のシーディングを優位に運べるからです」。プール戦期間中のその他のカードも含める形で総括する。以後はこの調子だ。
「試合に勝って、義理の母や友だちにニヤニヤして自慢するのも、楽しいことでした。やはり、特別な一日でした」
北と南を行ったり来たりしてきた。
15歳までは、母国のイングランドでラグビーとクリケットを両立。からっとした気候と新しいライフスタイルを求めて家族で渡豪した「16~17歳くらい」の頃は、クリケットに専念した。
「19歳以下西オーストラリア州代表でした。ほぼプロで活動していた」と、相当な腕前だった。しかし、18歳になると「コンタクトがしたい」とコードチェンジ。イングランドで楕円球を追っていた父の影響だ。
「(クリケットの)チームメイトは『バカじゃないの?』という反応でした。親も私がクリケットをするものと思っていたし、びっくりしていた。ただ、個人的にはラグビーが好きだな、という気持ちになっていました」
果たして2012年、スーパーラグビーのシーズンの途中だったウェスタン・フォースと契約する。声をかけてくれた当時のリチャード・グラハム ヘッドコーチ(現・リコーブラックラムズ東京 アシスタントコーチ)が退任したのを受け、ひざの手術をしたのちにウェールズへ渡った。父の生まれ育った土地でもあった。
当初はクラブレベルで存在感を示し、向こう9年間は強豪のスカーレッツで戦う。その流れでウェールズ代表となり、主将だったアラン=ウィン・ジョーンズとツインタワーを組んだ。
「代表に選ばれて誇りに思いました。ここで最優先していたのは、スターティングメンバーになること。必死でした」
来日したのは、「コーチ陣が一番の要因」。グリーンロケッツは今季、体制を刷新している。FWコーチのスコット・ファーディーとはオーストラリア時代に試合をしたことがある仲で、ヘッドS&Cコーチのブラッドリー・ハリントンには前所属先のスカーレッツで指導を受けたことがある。イングランドで実績のあるスクラムコーチのボリス・スタンコビッチにも好印象を抱いていた。
何よりディレクター・オブ・ラグビーには、元オーストラリア代表指揮官のマイケル・チェイカがいる。3月下旬に合流したチェイカの言動を、ボールは好意的に捉える。
「とにかく正直な人で、フィルターがありません。厳しいことを言うかもしれませんが、それが一番いいやり方だとは思います。細かいディテール、個々の責任感についてきめ細かく監視して、我々がクラブハウス内でどのように行動しているか、考えているかについて、いろんな視点で話している。戦略的なことについてはここではあまり話せませんが、ディテールを詰めていくことが大切になってくる、とは言えます」
チームはレギュラーシーズンに残された2試合で目下3位の埼玉パナソニックワイルドナイツ、同5位の横浜キヤノンイーグルスと順に対戦。ワールドクラスのタフガイが杭を打つ。