コラム 2021.12.02

【コラム】春を待つ人たち。

[ 田村一博 ]
【コラム】春を待つ人たち。
嘉穂高校の仲間たちと。前列左から5人目が瀬田凱。その向かって左が練習をサポートしてくれる八幡高校3年の白石悠大。瀬田の向かって右が原田佳歩マネージャー。
スクラム練習をできるのも嬉しい。中央が瀬田くん



 ラグビーはひとりではできない。
 ひとりでもラグビーは楽しめる。
 どちらも真実だ。
 福岡県立八幡高校ラグビー部、1年生の瀬田凱(せた・かい)は、コンタクトプレーが好きだ。花園予選を終えた3年生が部を離れ、部員はひとりだけになった。

 11月下旬、16歳のフッカーに会いにいった。
 博多駅からJR福北ゆたか線・黒崎行きに乗り込む。その日は、嘉穂高校の練習に加わる日だった。

 八幡高校は元日本代表主将、現在は日野レッドドルフィンズの指揮を執る箕内拓郎ヘッドコーチ(以下、HC)の母校だ。北九州市八幡東区にある。
 現在ラグビー部の監督を務める阿部展裕(のぶひろ)先生は、箕内HCの3歳下の同校ラグビー部OB。鹿屋体育大を経て福岡県の教員になり、2020年春から母校の教壇に立っている。

 11月に入って、阿部先生から連絡が入った。ラグビーマガジン12月号に掲載されている村上高校(新潟)の記事に「勇気をもらった」という内容だった。
 ひとりの少年の「ラグビーをやりたい」という思いから、同校にラグビー部ができたというストーリーだ。

 八幡高校ラグビー部は1946年創部。長い歴史を持つ。
 しかし、阿部先生が2020年の春に同校に戻ってきたときには3年生5人、2年生2人に2年生の女子マネージャー2人だけ。コロナ禍の影響もあったか、1年生はいなかった。

 瀬田くんは今春、3年生2人、3年生女子マネージャー2人、2年生女子マネージャー1人のクラブに入った。
 幼い頃から、鞘ヶ谷ラグビースクールで楕円球を追ってきた。自宅に近い八幡高校にはラグビー部がある。
 進学に迷いはなかった。

 部員数が少ないのは知っていた。
「でも、門司学園で指導していた阿部先生に教えてもらえると思ったので」
 阿部先生は門司学園赴任時代、女子の15人制、7人制で日本代表として活躍する長田いろはを指導している。瀬田は、そんな背景を知っていた。

「部員がひとりだと、広い部室にいるときなどは寂しく感じる時もありますが、毎日グラウンドでボールに触れられるのが楽しい」と瀬田くんは言う。
「花園に出るとか、そういうことは考えたことがなくて、毎日ラグビーをやって、少しずつでもうまくなりたいな、と」

 ラグビースクールの後輩たちが校庭に来てくれることがある。パスやタッチフットをしたり、阿部先生の持つコンタクトバッグに思い切りぶつかるのが楽しい。
 そう話す笑顔は輝いていた。
 阿部先生もそれに応える。
「目の前にいる瀬田くんが(ラグビーと毎日を)楽しいと思ってくれること。なにより、それが大事」と愛情を注ぐ。

 八幡高校でラグビーをやりたい。そう志してくれる子どもたちと出会うための活動もする。中学生の大会に足を運び、指導者に熱を伝える。
 瀬田くんが毎日をもっと楽しめるようにするためだ。自分を育ててくれた部の存続もかかっている。

 活動を気にかけてくれているOBたちも多い。
 村上高校の記事が出たときには「八幡も頑張ろう」と連絡が入った。箕内HCも、卒部式のときにはラグビーグッズを贈ってくれる。

 ひとりの活動でもラグビーが楽しい瀬田くんも、嘉穂高校に加わっての練習時はいつも以上に笑顔になる。のびのびとグラウンドを走り回る。
 以前合同チームを組んでいたこともあり、気心は知れている。コンビネーションの練習でも息が合う。
 勢いよくラックサイドに走り込み、スクラムハーフからのパスを受けていた。

「卒業するまでに八幡が単独チームで大会に出られたら嬉しいですね」と瀬田くんは言う。
 春が来るのが楽しみだ。その次の年の春も。後輩たちが何人になるかな。
「同級生たちもラグビー部に誘っているのですが、なかなか入ってくれない」と苦笑する。

 後輩ができるまでに、もっとうまくなっておこう。
 合同チームで味わう勝利の味と、単独チームで感じる勝利の感激は違うだろうか。
 将来は医師になることを目指している。憧れる京大に入れたら、そこでもラグビー部に入るつもりだ。

 嘉穂高校の監督を務める田村一就(かずなり)先生と阿部先生の出会いもおもしろい。ふたりをつないだのはラクビーマガジンだったそうだ。
 阿部先生が思い出す。
「彼は私と同じ鹿屋体育大の出身なのです。大学4年生の時に主将として全国地区対抗大学大会に出場しています。そのときの記事に、キャプテンだった田村先生の記事が載っていた。立派な後輩だな、と」

 当時のラグマガを探すと、20行に満たない記事があった。
 16人で大会に臨んだ同大学が、軽量FWながら奮闘したこと。田村主将の奮闘と、笑顔で仲間を鼓舞する様子が書いてある。

「大学生にはそれぞれのラグビー観があり、まとめるのは辛い時期もありましたが、仲間や後輩がいたからやれた」とのコメントもある。
 最後の1行には、故郷・福岡に戻り教員の道へ進むとあった。

 2011年の1月のことだ。
「それを読んで、知人を通じて連絡先を聞き、電話をしたんです」
 自身が育児休暇を取る間、講師として授業と部の指導を託したいと伝え、それが実現した。
「楕縁ですね」と阿部先生は言う。

 3年生が抜けたいま、嘉穂高校も部員が15人に満たない。
 その日、同校の広い校庭にいた先生、少年、少女の誰もが春を待っていた。
 新しい仲間が加わる日を。

 ラグビーはひとりでも楽しめるのだけど、大勢でやった方がもっと楽しいと、みんな知っている。

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