各国代表 2021.11.26

W杯へ、また一歩近づく。父の夢、自分の夢。HOペアト・モヴァカ[フランス代表]

[ 福本美由紀 ]
W杯へ、また一歩近づく。父の夢、自分の夢。HOペアト・モヴァカ[フランス代表]
大仕事をやり切り、ファンの声援に応えるペアト・モヴァカ。184センチ、124キロの24歳。(PHOTO/Jiro MOCHIZUKI)



 若いレ・ブルー(フランス代表の愛称)がオールブラックスを下した。40-25という歴史的スコアでの見事な勝利だった。

 この試合で2トライし、攻守で活躍したHOペアト・モヴァカが、試合終了後、スクラムコーチのウィリアム・セルヴァットの胸に顔を埋めて泣いていた。泣き腫らした目でプレイヤー・オブ・ザ・マッチのインタビューに向かった。

「その涙は誰のため?」という記者の質問に、「これは僕の夢だった。父の大好きなチームと対戦すること。僕は…、僕は…。言葉にできない、ごめんなさい…」と感情がこみ上げてきて、涙が抑えられない。

 モヴァカは、フランスの海外領土県であるニューカレドニアで生まれ育った。ラグビー好きの父の影響でラグビーを始め、15歳の時にスタッド・トゥルーザン(以下、トゥールーズ)のリクルーターの目にとまった。トゥールーズのジュニアチームにすでに所属していた同年齢のセレバジオ・トロフュアの家庭が受け入れてくれることになり、親元を離れフランス本土のトゥールーズにやって来た。

「父が僕の1番のサポーターだった。僕の試合を何度も繰り返し見て喜んでくれていた。」
その父が贔屓にしていたのが、世界最強チームであるオールブラックスだった。「オールブラックスと対戦するところを父に見せることができれば、どれだけ喜んでくれるだろう」とモヴァカは夢見ていた。

 しかし、2018年12月、父が急死した。折しもその週末にはトップ14での初先発が言い渡されていた。
「帰って葬儀に参列するべきだったかもしれない。でも、試合に出る方が父は喜んでくれそうな気がした。ずっと応援してくれていた父へオマージュを捧げたかった」と試合に出ることを選んだ。

 その後、チームメイトやスタッフがニューカレドニアまでの旅費をカンパしてくれ、一時帰省した。フランスに戻ってきてからのモヴァカを支えてくれたのが、当時トゥールーズのFWコーチだったセルヴァットだった。「ウィリアム(セルヴァット)が、誰にも言えなかった父への想いを全て吐き出させてくれた。おかげで気持ちが落ち着いて、思いっきりプレーできるようになった」とモヴァカは感謝する。

 その数か月後、トゥールーズのHOのジュリアン・マルシャンとレオナルド・ギラルディーニが続けて膝靭帯を負傷。モヴァカに出番が回ってきた。安定したセットピース、豊富な運動量、器用なハンドリング、ジャッカルもする。遜色ない活躍でチームのトップ14優勝に貢献した。

「父がもういないことはわかっている。でも、きっと見てくれているはず。だから、父に見てもらうためにプレーしている。」

 その活躍が評価され、2019年ワールドカップの代表メンバーにも選ばれた。しかし来日後、腰の違和感が消えず、MRI検査の結果1試合も戦わずして帰国することになった。「途中で帰るのは本当に辛かった。ワールドカップのジャージーを着て戦いたかった」と悔いが残る。

 モヴァカのポジションには、トゥールーズではキャプテン、代表でもリーダーを務め、絶対的な存在となっているジュリアン・マルシャンがおり、なかなかスタメンになる機会が巡ってこなかった。それでも試合に出れば期待以上のパフォーマンスを続け、トゥールーズでは今季はマルシャンと同じ数だけ先発出場するようになった。

 ファビアン・ガルティエ ヘッドコーチは、オータムネーションズシリーズ開幕前に「試合の終盤を戦う上で重要な選手だ」とモヴァカの役割について述べていた。今大会全3戦に出場し5トライ決め、常にチームを前進させたモヴァカ。しかも3戦目は、マルシャンの負傷でスタメン出場し、NZ相手に文句無しのパフォーマンスで、『フィニッシャー』以外の役割も果たせるということを代表スタッフに示した。

ワールドカップジャージーで戦う姿を父に見せる夢に一歩近づいた。

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