セブンズ 2013.08.22

【向風見也コラム】 真剣

【向風見也コラム】 真剣


segawa


 


 


 陽が傾いても熱の冷めない、2013年8月6日の夕方頃だった。場所は神奈川伊勢原市、専修大ラグビー部グラウンド脇のトレーニングルームである。卒業生でJR東日本の吉野健生が、床の上のバーベルを胸元まで持ち上げる。1回、1回、うめき声を上げる。規定の回数を終えると、あまり間隔を空けずに腕立て伏せ、懸垂に挑む。一通り終えると、少し水を飲んでもう一度バーベルと向き合う。重石はCDアルバム程度の直径か。



 セコンド役は、男子7人制日本代表の瀬川智広ヘッドコーチ(HC)だ。15人制と比べ選手の確保に苦しむ傾向があるカテゴリーにあって、原石の発掘と育成に活路を見出そうとしていた。身長192センチ、体重87キロの体躯で運動量豊富な吉野のことは、専修大の村田亙監督に紹介された。今春から合宿に呼び始め、この日は個人レッスンを課していた。日本最高峰のトップリーグ勢が北海道で合宿を張る折、瀬川HCは、所属先で練習を行えない選手に鍛練の場を与えたかったのだ。



「行ける!」



「悪くない!」



 吉野が下を向きかけると、瀬川HCはこう声をかける。実際、自らメニュー通りにバーベルを持ち上げ、「これ、きついな」と苦笑してみせたりもする。夜になれば、照明の灯ったトラックに出る。在籍するチームのシーズンオフ中、週に6日のデスクワークに励む吉野は、400メートル走、バービージャンプ、フットワーク強化のメニューを繰り返した。バーベルを持ち上げた指揮官は、今度は「最後の数メートル」を併走した。



「腕、肩(の張り)が半端じゃないです」



「毎日やってるわけじゃないだろう」



「まぁ、夜に走ったりはしてるんですけど…」



 2人の会話のバックでは、馬術部員がこげ茶色のパートナーの手綱を引いていた。



 夏の夜空の下のクラブハウスから、帰り支度を済ませた黒いポロシャツ姿の瀬川HCが出てくる。ペットボトルの飲料水を片手に、最寄りのバス停へ向かうところだった。



 6月、モスクワであったセブンズワールドカップでは、決勝トーナメントにあたるカップ戦には出場できなかった。秋以降に組まれたツアーでは進退をかけることとなりそうな指揮官は、今回の練習内容と始めた経緯を飾らずに説明する。



「ある程度の心拍数のもとで動き続けるクロスフィットネス。こちらとは扱っている重量が違いますけど、スーパーラグビー(南半球最高峰リーグ)でもやっている。『YouTube』なんかで見られます。吉野はマラソンみたいな走りはできるんですが、まだ筋力が足りないので。他の選手は網走でトレーニングをしているけど、JR東日本さんのスケジュールを見ると練習がなかった。やるしかない、と」



 華美なフレーズこそ用いないが、話に曖昧なところを残さない。出待ちをしていたスポーツライターから妙な質問というか感想をぶつけられても、迷わず即答する。



「一緒に走っていましたね」



「バテて来た時に、ちょっとだけです。吉野も、僕に負けるわけにはいかんだろうと思うでしょうから」



「こうしたマンツーマンの指導には、何というか、教える側のパフォーマンスに映るものもゼロではありません。ただ、今回のそれは違うようでした。なぜでしょう」


 
「お互い一生懸命やっている。僕も吉野に妥協はしたくないし、吉野も妥協していない。まぁ、特にウェイトでは『これで大丈夫か』というくらいの重量しか扱っていないですけど、本人は真剣ですし。僕にできることって、自分がどこまで本気でやるのかを伝えることだと思う」



 そこまで話し、改めて「パフォーマンスに映らなかった理由」を再考したのだった。



「何か特別なことをしているわけではありません。真剣さが少し、伝わったのかなと思います」



 そう。何かをなしえる人は大抵、真剣なのだ。もちろん世の中には、説得性に乏しく受け手に届きづらい「真剣」も存在する。そもそも、真剣さが全ての願いを叶えるほど現実は甘くない。だから、書き手がそうした精神的要素を取り上げる際は、それなりに注意すべきである。ただ、いびつではない指導者の執念や魂、すなわち本当の意味での真剣さが、大一番に挑むチームを後押しするのは間違いない。



 6月15日、東京は秩父宮ラグビー場のロッカールーム。「この試合がジャパンのジャージィを着る最後の日と思って戦え」。15人制の日本代表が欧州王者のウェールズ代表と戦う直前、エディー・ジョーンズHCは叫んだ。概ね1日2、3度の練習をこなして来た面々は、23−8での歴史的勝利を挙げる。



 その中心にいたWTB廣瀬俊朗主将は、所属先の東芝で2007年度から4季監督を務めた瀬川をこんな表現で語ったことがある。



「ずっと試合のビデオを観ている。本当にラグビー好きという感じです」


 


 



【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
ラグビーライター。1982年、富山県生まれ。楕円球と出会ったのは11歳の頃。都立狛江高校ラグビー部では主将を務めた。成城大学卒。編集プロダクション勤務を経て、2006年より独立。専門はラグビー・スポーツ・人間・平和。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)がある。技術指南書やスポーツゲーム攻略本の構成も手掛け、『ぐんぐんうまくなる! 7人制ラグビー』(岩渕健輔著、ベースボール・マガジン社)、『DVDでよくわかる ラグビー上達テクニック』(林雅人監修、実業之日本社)の構成も担当。『ラグビーマガジン』『Sportiva』などにも寄稿している。


 



(写真:男子7人制日本代表の瀬川智広ヘッドコーチ/撮影:AKI NAGAO)


 

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