セブンズ 2021.09.14

フランスセブンズの女王、ファニー・オルタ、スパイクを脱ぐ。

[ 福本美由紀 ]
フランスセブンズの女王、ファニー・オルタ、スパイクを脱ぐ。
東京五輪決勝、オルタ(白ジャージー先頭)は富士山頂上浅間大社奥宮の御札を手に入場した。(Getty Images)



 7月31日、東京スタジアムでフランスセブンズの女王が宙を舞った。
 東京オリンピックで引退を決めていた、女子7人制ラグビーフランス代表のキャプテン、ファニー・オルタ(35歳)のキャリアを讃えて、チームメイトが胴上げで送り出した。
 このチームの歴史を築いてきたオルタを、フランス女子セブンズの『女王』、『パイオニア』、『シンボル』と現地メディアは称える。

 オルタは子どもの頃、ラグビー選手だった父の試合にいつも行っていた。ある日、仲良くなった仲間に「ファニー(オルタ)もラグビーをすれば、試合のない日も一緒に遊べるじゃないか」と言われたのがきっかけで、ラグビースクールに通うことに。
 それ以来、「ラグビーから離れることができなくなった」と言う。

 16歳まで男子に混じってプレー。女子はオルタ1人、その頃からすでにチームのキャプテンだった。
 ペルピニャンの女子シニアチームに入り、国内大会で6度優勝。フランス代表にも選ばれ、2006、2010年には15人制の女子ワールドカップにも出場した。

 その頃、7人制代表にも選ばれ始めた。心を動かしたのは、彼女にとって初めての国際大会となった2009年のドバイセブンズだ。観客で埋め尽くされたスタジアム、仮装、お祭りのような熱狂的な空気。
「人々はラグビーというショーを観に来て、楽しんでいた。なんて素晴らしい競技なんだろう!」
 それが彼女とセブンズの運命の出会いとなった。

 もっと強くなりたい、もっと練習したい。そのためには強豪国のようにプロ化が必要だ。
 2010年に着任したヘッドコーチのダヴィッド・クルテクスは、オルタたちを支援し、会長に掛け合い、彼女たちの声を届けた。しかし協会はなかなか動いてくれなかった。

 男子はすでにプロ化されていたが、女子のプロ化には協会はまだ難色を示していた。
 オルタは「待っているだけでは何も変わらない」とチームメイトのローズ・トマと故郷を離れ、パリ郊外の国立ラグビーセンターの近くにあるアパルトマンを2人でシェアし、男子7人制代表の練習に参加した。

「身体的にとてもハードだったけど、多くのことを得た。毎日練習に来て、必死に食い下がる私たちを見ているうちに、最初は女子ラグビーに関心がなかった男子選手も認めてくれ、応援してくれるようになった」

 彼女たちは賭けに勝った。ようやく協会とプロ契約を結ぶに至り、他の女子選手も続いた。
「2年でグループ全員がプロ契約になり、毎日練習できるようになった」
 翌年、オルタは看護師の資格試験に合格した。通常3年のところを5年かかったが、安心してラグビーに打ち込めるようになった。

「彼女は生まれながらのリーダーだ。このグループは彼女なしでは作れなかった」とクルテクスHCは言う。
 一方、オルタ自身は、「特にキャプテンの役を演じているわけではない。自分自身でいるだけ」と言う。自然体なのだ。

 彼女は周囲への配慮や感謝の気持ちを欠かさない。
 五輪前、富士吉田市での事前合宿で多くの人に支えてもらったことに、機会があるごとに感謝の気持ちを示す。市の職員が富士山頂上まで登って浅間大社奥宮で必勝祈願を受けた御札をプレゼントしてくれたことに言葉を失うほど感激した。

 決勝のグラウンドに入場する時、彼女の左手にはその御札が握られていた。
「国歌を歌う時には私たちと一緒にグラウンドに連れていくと全員で決めていた」

 東京オリンピックでの優勝は逃したが、終始焦ることなく冷静にチームが一つになって戦えた。
「このチームがどういう状態からスタートしたのかを思えば、表彰台にのぼれたことを誇りに思う。この銀メダルは私たちのここまでの道のりを表している」と試合後の記者会見で晴れやかな表情で答えた。

「全て引き継いだ。大丈夫、これからは彼女たち(チームメイト)が続けてくれる」と言い、現役生活に幕を下ろした。

 帰国後は、あらゆるメディアやイベントに引っ張りだこ。セブンズの普及に貢献しながら、コーチングのマスターコースの講義を受ける。
「ラグビー以外の側面で選手に寄り添ってサポートしていく活動をしていきたい。例えば、出産とキャリアの間で悩んでいる女性アスリートのサポートができるようになれば」

 適職だ。
 彼女が培ってきた経験、自然体のリーダーシップ、そして魅力的な人間力で、これから出てくる若いアスリートの力強い味方になるのは間違いない。

オルタ(右)は、生まれながらのリーダーだった。(©FranceRugby)

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