国内 2021.03.23

キヤノンのホセア・サウマキは、一時「資格なし」とされた日本代表入りをあきらめない。

[ 向 風見也 ]
キヤノンのホセア・サウマキは、一時「資格なし」とされた日本代表入りをあきらめない。
ドコモ戦でタックラーを振り切るキヤノンのホセア・サウマキ(撮影:高塩隆)
首にはパートナーの名前のタトゥーが入っている(撮影:向 風見也)

 右の首筋に「ケサイア プア」。結婚前のパートナーの名前を、カタカナで刻んである。ホセア・サウマキは口角を上げる。

「日本は、自分の国。心から」
 
 人呼んで「トンガンゴジラ」。おもにタッチライン際のWTBへ入り、身長190センチ、体重107キロの強靭な身体で防御網を破る。駆け抜ける。

 力と速さは世界でも通じた。2018、19年には国際リーグのスーパーラグビーへサンウルブズの一員として挑み、トライを量産する。

 社会情勢が変わったいまは、2017年加入のキヤノンに腰を据える。

 2月21日、東京・町田市GIONスタジアム。国内ラグビートップリーグの初戦では、強烈なキックオフタックルを何度も放った。後半28分に退き24-26と敗れるも、鮮烈な印象を残す。

「練習したから。練習でやらないと、試合ではできない。あの(試合前の)週は、何回も(キックオフタックルを)練習しました」

 初来日は2013年。故郷を離れる前から、父のホセア・アマナキ・サウマキさん(ファーストネームは自身の、ミドルネームは弟の名前と同じ!)と誓い合った。

 絶対に日本で活躍すると。

「お父さんの言葉をちゃんと聞いて、死ぬまで忘れないように心に残して。それがモチベーションね」

 決意がより固まったのは2014年夏。大東大の2年生だった頃だ。

 8月17日は長野・菅平で早大と練習試合を実施。2トライを挙げて勝利に喜んだが、まもなく、父の逝去を知らされた。祖国へ戻り、葬儀に参列した。

 そのままとどまろうかと思ったが、まもなく、考えを改める。祖父に言われたからだ。

「お父さんとの約束、もう忘れた?」

 サウマキには、日本で躍動しなければならない理由ができた。

 ちなみに「これは絶対、載せてね」と後に補足するのは、大東大の元監督で当時特別顧問だった鏡保幸氏の存在だ。

「鏡さんは日本のなかで一番、リスペクトしている。お父さんがなくなった時にそばに立っていろいろとサポートしてくれて」

 大学ラグビー界で敵なしの存在となっていた2016年、サウマキは初めて日本代表候補になった。ところが、正代表へは入れなかった。過去に7人制トンガ代表に選ばれていたためだ。

 ラグビーでは、一国の代表およびそれに準ずるチームで試合に出ると、他のナショナルチームへ加わりづらくなる。サウマキのような経歴の選手が日本代表資格を得るには、少なくとも日本国籍を取り、規定委員会への申請を経て7人制日本代表となり、かつオリンピックに関連する大会へ定まった回数以上出るのが最低条件と見られそうだ。条件は複雑化の一途をたどっており、ハードルは低くない。

 それでも本人は、いま、弟が叶えた国籍の取得に努める。28歳。最後まであきらめない。

「日本代表は僕の夢。ターゲットは、ワールドカップ(2023年にフランスで開催、2027年大会は開催地未定)。絶対、出たいです。絶対、行けるから。間違いなく。いいマインドセットを持って、頑張ります。神様から与えられた道。あとは僕がやらないと。自分が仕事をやっていくだけ。やるよ。決まっているから」

 ファイティングポーズを崩さない姿勢は、チームの佐々木隆道FWコーチからも太鼓判を押される。

「彼はいつもここ(グラウンドやジム)に来て練習していて、スイッチのオンとオフの切り替えができる。結果を残す選手は努力している」

 キヤノンは今季4節までに1勝3敗も、元日本代表コーチングコーディネーターの沢木敬介新監督のもと攻撃力の高まりを実感する。3月27日、東京・秩父宮ラグビー場でリコーとの第5節に挑む。

「沢木さん来て、すごく変わっているよ、いろいろ。僕のチャレンジは、僕はいつも練習が終わると、沢木さんのところへ行って『きょうの僕、どうでしたか?』『練習の時、何が足りなかったですか?』とコミュニケーションを取る。フィードバックをもらって、次の日に、チャレンジする」

 日本を愛する「トンガンゴジラ」は、己に言い聞かせるよう「日本のWTBでナンバーワンになる。口だけで言うんじゃなく、パフォーマンスで出さないと」と強調する。


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