国内 2020.08.17

コロナ禍に体脂肪率約5パーセントカット。中山律希、明大1年目の夏。

[ 向 風見也 ]
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コロナ禍に体脂肪率約5パーセントカット。中山律希、明大1年目の夏。
明治大学ルーキーの中山律希。座右の銘は「情熱」(撮影:松本かおり)


 東京は八幡山の明大ラグビー部寮に入って間もなく、チームの一時解散を受け入れた。寮に残るか、実家へ引き上げるかは各自に任せられた。

 中山律希は、原則的には東京へ残った。

「いったん、家の都合で帰らなくてはいけない時があったんです。それでも他の皆が寮に戻ってくるよりも2か月くらいは早くこっちに戻りました」

 日本全土が「ステイホーム」を謳い始めた時期、同部で寮生活を継続した1年生は24名中3名のみ。心細かったのではと聞かれ、中山本人が表情を崩す。

「他の1年生よりも先輩たちと親しくなれたと思います。外出制限もされていたので、暇な時間は自主練ばかりしていました」

 貴重なプレゼントも得られた。体質の改善だ。管理栄養士の山田優香さんの指導のもと、一時帰省時に「32パーセント」となった体脂肪率がみるみる減った。

 プロテインによるたんぱく質摂取がウェイトトレーニングの効果を高め、白米の分量調節が糖質制限につながった。

「ご飯を食べるのならそれをうどんにするなど、小さなことを変えていきました。こっち(東京)に来た時はコンビニで好きなものを買って食べていたんですけど、いまではちゃんと成分表の脂質の部分とかを見て『これは、いけるかな…』と気にするようになりました」

 初めて受けた本格的な栄養指導で調子は上り調子。全体練習再開から約1か月が経とうとしていた8月上旬、タフなランニングメニューを繰り返していた。

「筋力を維持しながら体脂肪を落としていくと、身体が軽くなって走れるようになりました」

 この時点で体脂肪率は「27~28パーセントです」。体重は最大時の108キロから高校3年時の103キロに戻した。田中澄憲監督にも認められる。

「いいですよ。ハングリーだし。身体も、こっちへ来た(ばかりの)時とは全然、違う」

 スピード出世を果たしてきた。「小1くらい」の頃から続けていたサッカーを真住中2年の途中で辞め、まもなくラグビーの道へ誘われる。競技を始めて時間が経たないうちに、大阪中学校選抜にもリストアップされた。

 最初は走力の問われるWTBに入り、やがて自在な動きが求められるプッターという働き場も経験。「最初は、もっと痩せてたんです」。複数のポジションを務めてきたからか、天理高ではスクラム最前列の右PRに入りながらも軽快なランニングを持ち味とした。

 身長169センチと小柄ながら2年時には17歳以下日本代表となり、冬の全国大会では8強入りを果たした。卒業前には、高校日本代表にもリストアップされている。

 栄光を生み出した要素のひとつは、クラブで課された猛練習である。印象的なのは「坂」。学校の近所にある斜面をひたすら駆け上がる鍛錬のようで、本人は苦笑して振り返る。

「それがある日は、『あぁ、終わった』と憂鬱でした。最初に800メートルの坂を(駆け足で)上って。次はその坂の途中くらいのところから(枝分かれした)いい程度の斜面があって、手前から上まで走ったり、そこから若干距離を延ばして走ったり…。ショート●本、ロング■本…と、決められた本数をやる感じです」

 進路選択時は、近隣の天理大に「入るもんやと思われていた」なかで明大のラブコールに反応。東京の有名私大に進んだのは、けがなどで競技ができなくなった時の選択肢を幅広く持ちたかったからのようだ。もっとも、いま抱くのはアスリートとしての向上心である。

「最終的には、プロになれたら」

 チームは現在、部員をレギュラー候補組と控え組の2グループに分ける。大学から左PRに転じた中山は後者に入るが、10月以降の公式戦出場へスイッチを切らない。高校までと比べて負荷の増すスクラムへ、どこまで対応できるか。

「スクラムにも明大のスタンダードがあると思う。しっかりと基本、形を積み上げていきたいです。誰よりも早く、上のチームで試合に出たい」

 世の中が変わるなか、住む場所を変えることで人生を変えようとしている。

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