コラム 2020.07.25

ラグビー金言【20】リビング・イン・ザ・ドリーム

[ 編集部 ]
ラグビー金言【20】リビング・イン・ザ・ドリーム
愛称ギャム。ただいま37歳。(撮影/松本かおり)



 がばいさむか。
 フィジー生まれのカメリ・ララボウ・ラティアナラが佐賀に移り住み、最初の出勤時に覚えた言葉が「とても寒い」だったそうだ。

 男子セブンズ日本代表の中核として長く活躍し、2016年のリオデジャネイロ五輪にも出場した副島亀里ララボウラティアナラ。1983年生まれの37歳は現在も力を維持し、2021年夏に延期された東京オリンピックへ向けて走り続けている。

 JICAのボランティアでフィジーに赴任していた副島彩さんと結婚したのが2000年8月。翌年1月から日本で暮らし始め、道路工事の仕事に就いた。
 冒頭の言葉は、初めて現場に出た日が寒かったから覚えた。周囲の人たちが「がばい寒か」と言っていたのを聞いて、帰宅後に妻に喋ってみせた。

 働きながら、クラブチームでプレーを続けた。2013年に帰化し、現在の名前に。同年、佐賀県チームの一員に選ばれて東京国体に出場した。チームを5位に導いた活躍が認められ、セブンズ代表の合宿に招集される。
 そのとき30歳。サクセスストーリーの始まりは遅かったけれど、それから五輪出場、コカ・コーラレッドスパークスへの入団、ワールドカップ・セブンズ出場と夢が叶う。
 愛称ギャム。2度目のオリンピック出場の夢も叶えたい。

【副島亀里ララボウラティアナラの金言】

 佐賀県代表として初めて出場した国体(東京)の開会式は、味の素スタジアムでおこなわれた。東京オリンピックでラグビーの会場となるスタジアムだ。
 それまで見たこともなかった巨大競技場に立ったギャムの記憶は、「素晴らしいセレモニーだった。エモーショナルな空間。オリンピックみたいで、僕、泣きそうだった」。
 開会式が終わり、妻に電話した。
「僕は本当にラッキーだ、と言いました。日本人になったから、こんな素晴らしい経験もできた、と」

 若いときには想像もしていなかったアスリートとしての人生が30歳になってから始まり、2016年のリオ五輪が近づいた頃、言った。
「リビング・イン・ザ・ドリーム」(いま、夢の中を生きています)

 2018年、サンフランシスコでワールドカップ・セブンズがおこなわれた。男子代表はフィジーに善戦する試合もあったが、なかなか勝てず。ケニアとラストゲームを戦った。
 相手はワールド・セブンズシリーズで優勝したこともある実力国だが、12-14で迎えた後半終了近く、副島が逆転トライを奪い、勝った。右のスパイクが脱げたまま走り続けた。「(パスをインターセプトされるなど)ミスをしたので、取り戻そうと思っていた」という。
「(靴が脱げても)足が壊れるまで止まるつもりはなかった」
 そんなパッションが、ギャムをいつまでも走らせるパワーの原点だ。

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