コラム 2011.03.25

「ラグビーは神」 田村一博(ラグビーマガジン編集長)

「ラグビーは神」
田村一博(ラグビーマガジン編集長)

世間に疎い友人、モニカが首をかしげる。
「スリムクラブ?」

大きい方(真栄田賢さん)はお前と同じ、沖縄でラグビーをやっていたのに知らないんだ?
酔った席で刺激すると、すぐに電話を握る。発信先は那覇のシゲル。
「あー、そう。りゅうたんクラブのLO…アイツか。俺、ハンドオフされたことあるわ」

小さい!
小さすぎる勲章である。同じピッチに立っていたと知ったとたん、さっきまでの無縁が絆になった。同じ楕円の世界に生きていると知ったら、勝手に尊敬と友情が芽生える。
ラグビーって、入り口が広い。そして、誰も出口に向かわない。だから楕円球の世界は広がる一方だ。

そして、トップレベルからグラスルーツまで、それぞれのカテゴリー間の垣根が低い。
それは大きなビアホールの中に、いくつものテーブルがある感じか。ジョッキを持って、あちらで乾杯。こちらで乾杯。そんな交流が心地いい。

ラグビーマガジン編集長に就いて14年目のシーズンを終えた。
1年12冊の通常号に加え、別冊や増刊号、それに2005年春以降は年に4冊のラグビークリニックも加わり、数え切れないくらいの取材に出かけた。
つまり、多くの人の温かさ、無数の刺激に触れた。

ラグビーマンでもある宇宙飛行士の星出彰彦さんは、初めて国際宇宙ステーションから地球を見た時の感想を、「情報があふれているいまの時代でさえ、その美しさはどんな言葉でも表現できないほど。これを宇宙飛行士が独り占めしたらいけないな、と思った」と回想した。
取材者として、同じような感覚になることがある。最前線で戦うプレーヤーやコーチの口から出る言葉が胸に響くのは当然。ラグビー愛好家のスピリットも深い。

その星出さんにインタビューしたときは、最終的に、こんなメッセージを受け取った気がした。
星に願うな。

好漢は慶應大学時代、理工学部体育会ラグビー部でSHとして活躍し、一生の友と出会った。
2006年8月にスペースシャトルで宇宙に向かうときは、携帯が許されるいくつかの公式飛行記念品のひとつに、日本代表ジャージーを入れた。
桜のジャージーを宇宙へ持って行ったのは、この競技をリスペクトしているからだ。一人になった時間、そっと袖を通してみた。宇宙に飛び立つ前、自分だけの空間を愉しんだ。

どうやったら宇宙飛行士になれますか?
そう問いかける純粋な子どもたちに、星出さんは、いつもこう答える。
「3つのことを言います。好きなことを見つけ、とことんまでつきつめてください。いろんなことに関心を持ってチャレンジしてください。そして、仲間を大切に」

『星に願うな』の真意は、こうだ。
人に支えられてこそ、壁にぶつかっても立ち止まることなく前へ進めるのだけど、自分で闘わないことには成し遂げられない――。

「私は4歳で初めて宇宙に行きたいと思い、その夢が叶うまで35年かかりました。その間、失敗もありました。飛行士の試練に受かったのも3回目のことです。人は、ひとりでは生きられないというけど、本当ですね。仲間のサポートがあって、応援してくれる人もいたから、失敗してへこんでも、立ち止まらなかったんです」

「ラグビーは神」
数年前にベストセラーとなった、『夢をかなえるゾウ』の著者は言った。愛知・東海高校でラグビーをしていた水野敬也さん。高校2年の頃の思いである。

中学入学時に野球部に入り、2年からバドミントン部。高校に入ってサッカーを始め、高校2年でラグビーと出会う。
どの部でもレギュラーになれず、サッカー部で練習していたある日、同じグラウンドで練習する15人ギリギリのラグビー部を見て転部を思い立った。

当時のコーチが、部員たちに口酸っぱく言っていたのが『足首にタックルしろ』だったそうだ。
「でも、誰もやっていなかったんです。僕はそれまでの部活での恵まれない4年間があるので、足首にタックルに入るだけで試合に出られるんだったら、と。そこに必要とされているのは筋肉や経験じゃなく、『意思』だと思った(笑)。スポーツって、運動神経とか、体の大きさとか先天的なことが大部分を決めると思ってたけど、ラグビーは違った」

OB戦にFBで出場した。先輩の足首に刺さると喝采を浴びた。
そして、自陣深くで手にしたボールを簡単にキャリーバックせず、大きく回り込み、22メートルライン近くまで走ってタッチに切ったら、試合後コーチに、みんなの前で「チームのことを考えてるのは水野だけだ」と褒められた。

「テンション、上がりまくりです。もう、ラグビーは神でした(笑)」
水野さんは、最後にラグビー活性化に話が及ぶと、声が大きくなった。
「いろんな人間にお情けでポジションが与えられるからじゃないですよ。一人ひとりの特性を活かせるものが役割としてあるから。社会も、本当はそうあるべきでしょう。たとえば以前は、お年寄りにはお年寄りとしての役割があった。日本は、ラグビー的な世の中になるべきだと思っています」

200人ほどの会社なのに、ラグビー経験者が15人以上いる。ラグマガ編集部のあるベースボール・マガジン社だ。
日本選手権に出た者もいれば、社会人になって始めた柔道部出身や、紫紺と対峙した2番。スペインのクラブ出身に、名将の同期も。
早稲田を5年連続で受験、やっと入学できたのに、思い焦がれていたラグビー部を2日で脱落した男は、かなりの曲者だ。

そんな個性が、いろんな職種、雑誌編集部でラグビーを主張する。2019年、
日本でのワールドカップ開催時には、ラグマガ月2回刊化か?

そんな野望にむけての足がかりになればと思い、このサイトを始めました。
ラグビーリパブリック。
毎日5つほどのニュースを出したとして、2019年秋までに、その数は約1万5000。全世界から発信される熱で、この国の楕円球カルチャーがW杯仕様に成熟することを信じたいな。

ラグビーマガジン編集長
田村一博

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