退路断ってサンウルブズ入りの竹田宜純。中断前に語ったスーパーラグビーの手応えは。
今季限りでスーパーラグビーから除外される見込みのサンウルブズのシーズンが、いったん、中断した。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、ニュージーランド政府が3月15日午前0時以降のすべての入国者に14日間の自主隔離を求めると発表。それに伴い、おもに南半球の各国をまたがるスーパーラグビーは一時停止を余儀なくされたのだ。
「日本食は食べられないかなと思っていましたけど、街に出ればありますし。大丈夫です。(ブリスベンでは)普通の人でマスクしている人は、そんなに見ていないです」
サンウルブズの竹田宜純が滞在先だったブリスベン(オーストラリア)の様子を語ったのは、中断が決まる前の13日のこと。翌日のクルセイダーズとの第7節に備え、日本のメディアによるテレビ電話取材に応じていた。
第7節はもともと東京・秩父宮ラグビー場で開催されるはずだったが、未知のウイルスの影響により会場が変わった。さかのぼって8日に大阪・東大阪市花園ラグビー場で実施予定だったブランビーズとの第6節も、6日にオーストラリア・ウーロンゴンのWINスタジアムでおこなっていた。当初、2月中旬から約2週間の予定だったサンウルブズの海外遠征が長期化した形だ。
なかなか母国に帰れなかった竹田だが、妻や3人の子どもとは「便利な世の中」だから連絡を取り合えると話した。何より同僚の外国人選手に気をつかってもらえ、快適に過ごしていたという。
「日本人選手にとってはいつ帰れるかという不安もありますけど、ひとりもそのことを口に出すことなく過ごせています。外国人選手にはすごく気をつかってもらっています。他愛もないことですけど、『家族の調子どう』と聞いてくれたり、『日本に帰れなくてごめん』と言ってくれたり。なぜ、謝るのかはわからないですけど」
身長180センチ、体重93キロの28歳。おもに最後尾のFBを務める。
2019年11月、それまで約5年半在籍のトヨタ自動車ラグビー部を辞めた。ここ数年減っていた出場機会を求め、社員からプロ選手に転じて新天地を求めた。国内選手との契約に四苦八苦するサンウルブズから声がかかったのは、渡りに船だった。
帝京大の同級生である中村亮土は、日本代表としてワールドカップ日本大会で活躍していた。竹田は中村に退社を相談した際、「ヨシなら違うところでもできる」と背中を押されていたようだ。
母校の御所実高で監督を務める父の寛行氏には、退社を事後報告。こんな言葉を授かった。
「しっかり家族のことを考えたうえで行動しろ」
改めて、繊細な意思決定について説明する。
「僕も、なんで(会社を)辞めたんだろうとは思うんですけど、人生一度ということで、このままだったら僕は悔いが残ると思った。それと、子どもに対しても僕自身の悔いが残ったところを見せたくなくて、行動をさせてもらいました」
スーパーラグビーデビューは第6節に果たした。時間を追うごとに持ち前のカウンターアタックを披露したが、ミスも犯して14-47と沈んでいた。続く第7節ではベンチから出場機会をうかがった。長期目標に2023年のワールドカップ フランス大会での日本代表入りを掲げながら、目の前の戦いに向けこう意気込んでいた。
「僕たちは僕たちのプレーを遂行するだけです。前回(ブランビーズ戦)はミスがあって自分たちのボールをキープすることがなかなかできなかった。ボールを持つ時間を増やし、ゲームプランを遂行できれば、もっと自分たちのラグビーができる。試合をやる前は、(スーパーラグビーは)テレビで見る世界でレベルが違うという感じでしたけど、いざスーパーラグビーの経験者と一緒に練習を積み重ね、試合に出させてもらった時に感じたのは、意外と日本人選手でもできるなということ。僕は緊張で何回もミスをしてしまいましたけど、意外とできる、というのが素直な意見です」
14日、ブリスベン・サンコープスタジアムでの第7節。サンウルブズは14-49のスコアで今季通算戦績を1勝5敗とした。後半30分から登場の竹田が3度目のスーパーラグビーの公式戦を経験する日は、今後やってくるだろうか。