【藤島大コラム】 「こするな!」
君主なき共和国とは民衆の言葉によって成り立つ。ここ「ラグビー共和国」も同じだろう。
ラグビーの言葉をいくつか紹介したい。
「なんだ、このスポーツは」
1979年、夏。早稲田大学ラグビー部4年、石橋寿生。夏合宿へと向かうバスが、いよいよ菅平高原へ入り、どこかのグラウンドでラグビーの試合が行われていた。それを眺めながらの一言。近年と異なり、このころの合宿とは、もっぱら問答無用の「地獄」を意味した。福岡県立大里高校出身、体が小さく足は速く、ボールに吸い付くような背番号7の先輩が、車窓にもらしたつぶやきが、厳しい練習におびえる新人(後年のこのコラムの筆者)にとっても、なんともユーモラスだった。それはこれから始まるおそるべき2週間の開始の合図でもあった。
「私はよく遅刻もします。他人から指図されることを好まない。自由人なんだ。でも自分が選んだ道については努力することができたのです」
2012年、夏。元フランス代表、ジャン=ピエール・リブ 。フレンチ・バーバリアンズの団長として来日中の『ラグビーマガジン』インタビューで。キャップは「59」。金髪を血の色に染める伝説のフランカーであった。引退後、金属の彫刻家としても名をなす。ことし60歳のはず。「私の小さな息子たちは、父親がラグビーをしていたと知りませんよ」。そのこともまた自由である証明だ。
「尊敬する選手: クリス・パターソン (スコットランド)」
2012年、春。函館ラ・サール高校1年、田西大夢。同校ラグビー部ホームページの部員紹介のコメントより。この若さで、しぶい。先に現役引退のクリス・パターソンは、見る者のラグビー観を問うような存在だった。一般にはキックの名手。でもボールを持つ前、持った後、そのつどの的確な判断とスキルに乱れるところ皆無だった。タニシ君、きっといい選手になる。
「私が現役時代にずーっと『こりゃあムリだ…』と思っていた事があります。それはボールを洗う際に、『こするな』という事です。ボールをこすって洗うとツルツルになってしまう為に、こすらずに『叩け』と教えられました。実際にやってみると、水を流しながらボールを叩いても全然キレイになりません! 『こんなんじゃなかなかキレイにならんわ』と思いながら夕方の一橋グラウンドで片付けをしていた記憶があります。めんどくさがり屋の私は、みんなが見ていない隙に、さらっとこすって洗っていたなというのが一番の思い出でしょうか」
2003年、秋。元国立高校スタンドオフ、石田慎一郎。『渡部洪監督就任二十周年記念誌』より。卒業から8年の時点での回想冒頭である。細部に魂は宿る。いい文章だ。こすらずに叩け。その理不尽にささやかに抗った少年は、やがて自動車メーカー技術者としての道を歩む。特許を得る秘訣に「こんなんじゃキレイにならんわ」の精神があるのかもしれない。個人的には、長持ちさせるために「こするな、そのボールを!」を部訓と定めた先輩諸兄にも1票を投じておきたい。水道の水はいささか浪費されただろうと想像するが。
真剣勝負のラグビー、その最前線では、鍛えた肉体を駆使するからこそ言葉が残る。「なんだ、このスポーツは」のおかしみは、猛練習の緊張があって、そこに広がるのである。「さらっとこすって」の微笑もまた。
(文・藤島 大)
【筆者プロフィール】
藤島 大(ふじしま・だい)
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『楕円の流儀 日本ラグビーの苦難』(論創社)、『知と熱 日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐』(文藝春秋)、『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『ラグビー特別便 1986〜1996』(スキージャーナル)などがある。また、ラグビーマガジンや東京新聞(中日新聞)、週刊現代などでコラム連載中。J SPORTSのラグビー中継でコメンテーターも務める。