日本代表 2019.08.02

俳句を学んだ。相撲の手刀の意味も知った。リーチ・マイケル、日本の主将を務める覚悟

[ 編集部 ]
俳句を学んだ。相撲の手刀の意味も知った。リーチ・マイケル、日本の主将を務める覚悟

ラグビーワールドカップ日本大会が9月20日に開幕する。

前回の2015年イングランド大会では、日本代表は強豪南アフリカに勝つという歴史的な番狂わせを演じた。今回は自国開催。さらなる飛躍が期待されている。

その中心を担うのは、前回に続いて主将を務めるリーチ・マイケル。ワールドカップへの思い、日本への思いを聞いた。

【インタビュー/森本優子(ラグビーマガジン)】

リーチ・マイケル(MICHAEL LEITCH)

1988年10月7日生まれ・30歳/190㌢110㌔/FL/ニュージーランド クライストチャーチ出身(日本国籍)。バーンサイドRFC→セントビーズカレッジ→札幌山の手高→東海大→東芝ブレイブルーパス(9年目)。日本代表キャップ59。初キャップは2008年11月16日のアメリカ戦。ワールドカップは‘11年NZ大会、’15年イングランド大会に出場。‘15年大会では主将を務めた。

最初は、なぜ? って思った

――初めて見たワールドカップは、いつですか。

「1995年、南アフリカで開かれた第3回大会です。6歳のとき。ニュージーランド代表のジョナ・ロムー(ウイング)が憧れで、試合の翌日、学校に行って好きな選手を選ぶと、ロムーが取り合いになっていました(笑)」

――当時の日本代表の印象は。

「覚えてないです。大会の後、“グレイトラグビー”というゲームが出て、大ヒットしたんですけど、そこに日本も出てきたので、ラグビーをやっているんだと知りました。超弱かった。NO8にシナリ・ラトゥー(当時三洋電機)さん、10番に廣瀬佳司(トヨタ自動車)さん、センターに元木由記雄(神戸製鋼)さんらがいました。そこで初めて、“なぜトンガの選手が日本代表になっているんだろう”と不思議に思いました」

――そのころの憧れは。

「オールブラックスかフィジー代表になること(母親がフィジー出身)。でもそれはみんなが持っていた夢」

――その後の大会は。

「ワールドカップは毎回見ていました。日本の試合は2003年第7回大会のスコットランド戦を覚えています。箕内拓郎(NEC)さん、伊藤剛臣(神戸製鋼)さん…。ラインアウトが上手でした。大畑大介(神戸製鋼)さんはセブンズでも有名で、“この人ヤバい”と思って見ていました。ニュージーランドから札幌山の手高校に入って、美幌で行われたトップリーグの合宿を見学に行ったとき、NECも来ていて、そこに箕内さんもいました。サインをもらおうと思ったけど、恥ずかしいからやめた(笑)」

寝る前にバターパン

日本代表はラグビーワールドカップに第1回大会から参加、1991年の第2回大会にはジンバブエを下して初勝利を挙げたものの、以降は連敗続き。2007年の第6回大会、2011年の第7回大会と、カナダに引き分けたが、勝利には届かなかった。

――来日した当時、日本代表を目指そうという思いはありましたか。

「まったく思ってなかったです。もともと日本の文化に興味があったし、来た頃はラグビー選手としては全然パンチなかった。でも札幌でトップリーグの試合を見たとき、目指したら行けるんじゃないかと。高校の佐藤幹夫監督にも“頑張れば、社会人チームに行けるよ”と言われました。札幌での試合、廣瀬さんが出ていてプレースキックを蹴るとき、砂を使っていたんですが、僕はバケツで砂を運ぶ係でした」

――そこで彼らのようになりたいと。

「それは直接の理由ではないです。一番のきっかけは弱かったから、強くなりたいと思ったこと。1年生で花園(全国大会)に出たとき、サイズは176㌢76㌔でした。開会式で整列したら、他のチームにでかい選手がいっぱいいた。でもタックルだけは決めていた。それしかなかったから」

――それから本格的にラグビーに打ち込み始めた。

「身体を作るために、超食べて、超寝ました(笑)。毎晩寝る前に食パン6枚、バター塗って食べていました。あとウエイトトレーニングも。次の年は96㌔、3年生で103㌔。それで高校日本代表に選ばれたとき、“このまま頑張れば、ラグビーで食べていけるかな”と」

――以前「ニュージーランドでラグビーを続けていても、絶対に今みたいにはなっていなかった」と言われていました。

「日本は毎日練習するから、その分ニュージーランドの選手より、スキルはうまくなります。僕が強くなりたいと思ったのは、札幌山の手高校のみんなに申し訳ないという気持ちが一番だった。せっかく日本に呼んでもらったのに、試合でいい影響を与えられなかった」

最初は「考えます」と言った

日本代表が世界中のラグビーファンを驚かせたのが4年前の第8回大会のワールドカップ。初戦で世界ランキング4位の南アフリカを34-32で破った(日本は当時14位)。最終的な成績は3勝1敗。勝ち点の差で決勝トーナメントには進めなかったが、いちやく注目される存在となった。

――日本代表に初めて選ばれたとき(2008年秋/東海大2年)は、どんな思い出がありますか。

「ここにいるのが大間違いだと思った(笑)。集合したとき、みんなは私服だったのに、僕は東海大のブレザー。上着を脱いだら、緊張でワイシャツが汗でべたべただった(笑)。最初は友達いないし、どうしようかと思いました」

――どんな努力をしたのですか。

「周りの選手からリスペクトされなきゃいけないと、最初の練習からバチバチ行ってました。僕がタックルに行くときに、怪我させないようにゆっくり走ってくる人もいたけど、逆に腹が立った。練習中は先輩たちと結構やりあってました」

――その後、前回ワールドカップの前年(‘14年)に、エディー・ジョーンズヘッドコーチからキャプテンに指名されました。

「エディーから“キャプテンだ”と言われたとき、最初は”考えます”と答えました。廣瀬(俊朗=元主将)さんやハタケさん(畠山健介)、堀江翔太さんと話して引き受けようと。キャプテンは堀江さんがなると思っていたけど、その堀江さんが“絶対やったほうがいい”と言ってくれたので、引き受けました。みんながフォローしてくれた」

日本の文化を知ることが力になる

「自分の出生国」「両親、祖父母の誰かが生まれた国」「3年継続して居住した国」であれば、ナショナルチームの一員になれるのがラグビー。そこに加えてリーチは、日本代表を引っ張る重責を担うことになった。

――今回もキャプテンを務めます。

「‘15年のときは、それでも自信がなかったです。歳も歳だし。でも、今のチームになって、キャプテンがやりたくなった。一度ワールドカップを経験したこともあって自信がついた」

――様々な国の選手がいるチームをまとめる難しさはありますか。

「それはまったくないです。みんな日本の生活も長いし、日本が好きでここにいる。日本のやり方がダメという選手はいないし、僕も日本人だから、外国人だから、と意識したことはないです」

――日本の文化について、もっと知るべきだと言っていますね。宮崎合宿では、君が代に出てくる「さざれ石」も全員で見学した。

「日本の文化を知ることが、チームの見えない力になる。さざれ石にお参りに行ったのは、日本の文化を知る第1回。これからチームとして、いろいろな文化、伝統、歴史を学んでいきたいと思っています」

――個人的にも勉強していますか。

「日本は長い歴史がある。僕も歴史を勉強していて、戦争のときに書かれた手紙を読んだりもしています。自国開催の大会のために、愛国心を上げないといけない。そうすれば、もっとチームとしてまとまれる」

――なぜ歴史を知ることが大切なのでしょうか。

「日本代表としての覚悟が変わります。きついときに頑張れるし、最初から頑張れる力も出てくる」

――文化を学ぶことは、どんなプランを考えていますか。

「チームで俳句を勉強したり、相撲を見たい。力士が手刀を切る意味を知っていますか? 三つの神様に祈るという意味があるんです」

ラグビーは勇気をもらえるスポーツ

この秋、日本で初めて開かれるラグビーワールドカップ。初めて開催されたのは1987年と歴史は浅いが、回を重ねるごとに注目が高まり、今やオリンピック、サッカーワールドカップと並ぶ世界三大スポーツイベントとなっている。

――子供にラグビーをやらせようと思っている親の方にアドバイスを。どんな長所がありますか。

「忍耐力がつく。みんなできついことを乗り越えるから、チームワークも生まれます。一生の友達が出来るし、世界中どこに行っても、ラグビーやっていたら仲間になれる」

――今大会はアジアで初めて開催されるワールドカップでもあります。

「やりがいがある。日本はアジアの代表。アジアのことを忘れちゃいけない。一生懸命ラグビーをしている国はアジアにたくさんある。日本はこの大会を通じてアジアのラグビーの発展も考えないといけない」

――ワールドカップは9月20日に始まります。ラグビーを見たことがない人は、どこに注目して観戦すればいいでしょうか。

「小さい人間が、大きい相手に立ち向かって行く姿を見てほしい。大きい相手を目の前にしたときは当然怖さもあります。ラグビーは勇気がないとできないスポ―ツです。まずはそこを見てほしいです。そういう姿は見る人にいろんな影響を与えられると思っています。試合を見てもらえれば、絶対に心を動かされる場面があると思います」

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