コラム
2018.10.23
函館から天理に来た幸せ。 天理大副務・川村将貴
天理大ではラグビー部の裏方に徹する川村将貴副務。左は小松節夫監督
「面白いやつがいるんだよ」
藤島大が京都名物の「赤」を飲みながら話す。つまみは、牛の小腸を炒め、透き通った脂があふれ出たところに、甘辛い韓国風タレをつけて食べる「ホソ焼き」だ。
赤玉ポートワインに焼酎を混ぜ、炭酸で割った下町のカクテルは酔いが回る。
「函館ラ・サールから天理大学に行ったんだ。今、マネジャーをしている」
より優しく、饒舌に「ラグビー界の司馬遼太郎」は変化する。
集英社文庫から『北風 小説 早稲田大学ラグビー部』を上梓。ノンフィクションから小説へと新境地に至ったあとだった。
藤島が魅力を感じるのは川村将貴。
この国屈指の進学校を経て、ラグビーの強豪大学にいる。
どうして?
「その質問はこれまで1000人くらいにされました。あまり勉強が得意ではなかった、って言うとみんな納得してくれます」
白い歯がこぼれる。練習中は、3つ星の寿司屋で修業する若い衆と同じように精悍だ。
関西風に言うと3回生。その男子マネジャーに監督の小松節夫は表情を緩める。
「ようやってくれてるよ。来年のウチの主務候補やしね。川村とは普通に話ができる。強い高校で、そこの監督が怖い人やったら、かまえて話してしまう子もいたりする。でも彼はそうやないんよね」
55歳の指導者と意思疎通はできている。副務として練習では水出し、試合ではブース対応、ホームページ管理などもこなす。最近ではドローンを飛ばし、練習風景を空から撮る。
藤島は言う。
「選手は自分のことだけを考えていたらいい。でもマネジャーはチーム全体を見られないといけない。あいつはその目を持っている」
川村の他者への興味は『ラグビーマガジン』の熟読でもわかる。母校・はつしば学園小学校に、昨年度の関西学院大の主将・赤壁尚志が新卒赴任したのも、この月刊誌で知る。
天理大への道筋をつけてくれたのは、高校の恩師でラグビー部監督の荒木竜平だ。
荒木と小松は同志社大の同期。3連覇の最後となる1984年度の入学になる。
「荒木の川村をなんとかしてやりたい、っていう気持ちが伝わってきた。それで、ウチでよかったらどうぞ、って言ったんよね」
川村にとって、天理は合宿などで入学前から知っていた。12歳まで過ごしたのは大阪・長居。関西に対する違和感はない。
「荒木先生はずっと天理をすすめて下さいました。僕もできればこっちに帰りたい、という思いがありました」
国際学部の地域文化学科に合格。漆黒ジャージーの一員となる。
川村は函館ラ・サール中に入学後、ラグビーを始めた。入寮して周囲に影響を受ける。
「二段ベッドがどんどんどんって置いてある大部屋で90人くらいが一緒に生活します。その中で、下も隣のベッドの子もラグビー部に入りました。興味がわきました」
本人の運動神経は、かぼそかった。
「脚は遅いですし、懸垂はやっとできるくらいのレベルでした」
かくして、中2からコーチという名のマネジャーになる。その年、藤島が取材で北海道を訪れた。7年前を振り返る。
「学生コーチはたくさんいるけど、中学2年からコーチをする人間を初めて見たよ」
送った言葉は「永遠のコーチになれ」。川村は鮮明に覚えている。
「白のエナメルバッグに黒のマジックで書いてもらいました。コーチになれず、申し訳ない気持ちはあります」
高3で函館ラ・サールは初めて花園に出る。
「僕、その時はテストで赤点を取って、ラグビーから一歩引いていました。スタンドで、引退した野球部やサッカー部の同級生たちと一緒に応援してました」
試験の点数が低ければ、部活停止の措置がとられる。川村にとってはつらい日々の中、仲間たちは札幌山の手を22−12で下す。創部49年目の快挙だった。
第95回全国大会(2015年度)は1回戦で長崎北陽台に12−42で敗れる。
「僕はチームについて行って、お弁当を運んだだけです。でも、初めて花園ラグビー場に入った時は、その大きさに感動しました。連れて行ってくれたみんなに感謝しました」
函館で寮生活をした6年。それに見合う思い出を最後にもらう。
天理大は川村の入学初年度から関西制覇をする。第53回大学選手権では4強進出。8連覇する帝京大に24−42で敗北する。
場所は東京・秩父宮ラグビー場だった。
「ロッカーに入らせてもらえました。ピッチサイドから観客席を見上げたら、満員でした。すごいなあ、と思いました」
敗戦の悔しさはあったものの感動を得る。花園、秩父宮ともに足を踏み入れた。
川村は笑顔を浮かべる。
「ほかの大学に行った人をうらやんだこともありました。でも今は、みんながひたむきにラグビーに取り組むすごいチームに入れてもらえて、よかったと思っています」
天理生活3年目。選手たちと狙うのは関西3連覇である。今季は圧巻の開幕2連勝。関西大に116−7、同志社大には59−0。その先にあるのは、初の学生日本一である。
来年は最上級生。就職活動を迎える。
「医療系か医薬系の営業にやりがいを感じています。直接人の役に立つのは、こういう業界かなあ、と思うのです」
人の役に立つ=自己犠牲の精神。
川村はラグビーを体現している。ある意味、選手以上に選手なのかもしれない。
(文:鎮 勝也)