コラム 2017.02.11

しめやかに故平尾誠二さん「感謝の集い」

しめやかに故平尾誠二さん「感謝の集い」
会場となったのは神戸ポートピアホテル。一般の献花にも、続々と人が集まった。
 昨年10月20日、胆管細胞がんで逝去した神戸製鋼コベルコスティーラーズGMの平尾誠二さん(享年53)をしのぶ、「感謝の集い」が2月10日、兵庫県神戸市内にあるホテルでしめやかに行われた。
 午前11時からは故人と関係の深かった招待者による追悼式典があり、午後2時からは一般献花が行われた。
 発起人会広報事務局(主催者)によれば、招待者と一般来場者の合計は2800人。集まったテレビカメラは11台を数え、死後も衰えない「平尾さん人気」を物語った。
 ホテル内のホールでの追悼式典では、正面に平尾さんが神戸製鋼の黒いチームコートを着て、空に視線を向ける写真が飾られる。花などで作られたラグビーグラウンドとボールが遺影を囲み、生前の映像が流された。
 その祭壇の前で、森喜朗(日本ラグビー協会名誉会長、元首相)、岡田武史(日本サッカー協会副会長、元日本代表監督)、辻芳樹(辻調理師専門学校理事長・校長)、山中伸弥(京都大学iPS細胞研究所所長)、山口良治(伏見工・京都工学院ラグビー部総監督)の5氏が平尾さんへの追悼文を読み上げた。
 大阪・天王寺高校出身で平尾さんより6学年上の岡田氏は方言を使う。
「平尾、今日は関西弁で聞いてくれ。この方がかしこまらずにいける」
 そして、もっとも忘れられない平尾さんの言葉を口にした。
「スポーツから日本の社会を変えたい」
 現在、FC今治(JFL所属)のオーナーをつとめる岡田氏は言う。
「おまえはおれの殻を破ってくれた。おれは今、本気で社会を変えようと思ってやっている。そのきっかけはおまえの一言や。おれのやり方は岡田メソッドって言われているけど、岡平メソッドにせないかんな。おまえには本当にいろんなもんをもらった」
 平尾さんは、監督をつとめた1999年のワールドカップ(W杯)で3連敗した直後、傷心旅行を考えた。行先は当時、岡田氏が監督をしていた札幌。しかし、岡田氏も1998年のW杯で3連敗していたため、マスコミの格好の餌食になる、という理由で中止になった笑い話を披露。暗くなりがちな会場に明るさを差し込ませる。
 最後は、シガーバーで葉巻を吹かす平尾さんがさまになっていた思い出で締めた。
「平尾、おまえとは生まれ変わっても、もう1回会う気がする。その時はおれの方が葉巻の似合う役や。今はゆっくり休んで下さい」
 深々と遺影に頭を下げた。
 2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中氏は平尾さんと同学年だった。神戸大学では医学部ラグビー部に所属した。遺影を見上げ話しかける。
「平尾さん、久しぶりです。相変わらず格好いいですね。高校の時からずっとあこがれていました。出会って大好きになり、ものすごく尊敬しました。でも病気がわかってから、さらに格好よく、立派になりました。わかった時はずいぶん進行していました。普通の人なら、呆然として何もできないのに、あなたは最後の瞬間まで家族と一緒に病気と闘っていましたね。本当に格好よかったです」
 山中氏は治療法の提案なども含め、平尾さんを最後まで支えた。「誰もやったことのない治療」を副作用の規模がわからず逡巡する中、平尾さんは陽気に言い放った。
「世界初なんか。ケイちゃん(恵子夫人)、おれら世界初のことをやってるんやで」
 それだけに、無念の思いが去らない。遺影に詫びる。
「治すことができなくて、本当にごめんなさい。いつかまた会えると信じています。また会おうな、平尾さん。本当にありがとう」
 高校時代の恩師・山口氏は介添えを受け、左手に杖をつきながら祭壇に上がる。スピーチ中に男泣きした。
「いつか一緒に話をしましょう。そっちで座る席を作っといてや」
 スピーチ後には首相の安倍晋三氏からのメッセージも読み上げられた。その後、川崎博也(神戸製鋼所代表取締役会長兼社長)、平尾昂大(長男)の両氏がお礼を述べ、出席者が献花して式典は終了した。
 式典後はホテル内で立食形式による歓談が行われた。坂井信也(阪神タイガースオーナー)、野村忠宏(柔道家)、田島幸三(日本サッカー協会会長)、青島健太(スポーツライター・キャスター)、西田ひかる(女優・タレント)氏らが出席。故人の交友関係の広さをしのばせた。
 また会場には、社会人大会3連覇(1990年度)を達成する決勝戦で、試合終了寸前に同点トライを決めたWTBイアン・ウイリアムス(元オーストラリア代表)をはじめ、それぞれの母国から駆け付けた外国籍選手たちの姿もあった。
 トップリーグ委員長の太田治氏は東京から来て、受付で来賓の案内役をつとめた。この元日本代表GMは1991、1995年のW杯2大会で平尾さんのチームメイトだった。
 平尾さんはみんなに愛されていた。
(文:鎮 勝也)

2

ラグビー、サッカーの代表を率いた同士だけに共通点も多かった岡田氏。

PICK UP