国内 2016.12.28

1年生の夏、友だちは3台の洗濯機でした。旭川工・野呂田花の3年間。

1年生の夏、友だちは3台の洗濯機でした。旭川工・野呂田花の3年間。
旭川工業ラグビー部の野呂田花マネージャー(撮影:松本かおり)
 1年生の夏、友だちは3台の洗濯機でした。
 そんな話をしていたら、ポロリと涙がこぼれた。
 花園への初出場を果たした旭川工業高校ラグビー部のマネージャー、野呂田花(のろた・はな)は12月27日の午後、聖地の第3グラウンドで大きな声を出し続けていた。この日開幕した全国高校大会で、北北海道代表の同校は宮崎県代表の高鍋高校と戦い5−69と敗れた。しかし、試合終了間際に奪ったトライは自分たちのスタイルで決めた。得意のモールを押し切って、FL奥天滉太が抱えたボールをインゴールに置いた。
「みんな本当にかっこよかった」
 3年間マネージャーとしてチームを支えてきた野呂田は、そう言って力を出し切った選手たちを労った。半袖のジャージーを着て、ベンチの横で記録をつけながら、60分間応援し続けた。
「(半袖は)寒いですよ。でも、いつも選手たちと一緒だという気持ちでいたいから。雨の日は同じように濡れています」
 部員は23人しかいない。だから背番号24のジャージーを着ていた。
「仲の良さが武器なんです」
 1949年の創部以来の快挙を成し遂げたチームの強みをそう話した。
「いつもはだらしなくて、出したものも置きっぱなしとか、そういう感じなんですけど、試合とか、決めなきゃいけないときには決めてくれる人たちでした」
 いろんな思いが湧きあがって言葉に詰まった。
 入部したときには先輩もおらず、ひとりでチームの雑務をあれこれこなした。当時は33人の部員がいたから夏合宿は大変だった。4泊5日で北見へ。部員と監督の洗濯物を毎日洗った。3台の洗濯機が友だち。その横に一日中いた。懐かしいな。
 幼稚園の年中から柔道を始め、中学3年まで続けた。いろんな人たちに支えられて11年も畳の上に立っていたから、今度は自分が支える側にまわりたい。そう考え、高校入学と同時にマネージャーを志望した。ラグビー部の雰囲気が気に入って、お世話になろうと決めた。
「団体スポーツは初めてだったので、最初はいろいろビックリしました。練習中にケンカしだしたり、どう対処していいかわからなかった」
 いつも選手目線で行動するようにした。
「そうしたら、やってほしいことがわかると思って。先を見て行動できるようになりました。やってきたことを生かして、いい奥さんになれたらいいな」
 女子高生の表情になった。
 建築科に学び、クラスの37人中、女子は6人だけ。卒業後は地元を離れて室蘭へ向かう。鉄鋼関連の会社に就職することが決まっている。
 ラグビーとの関係は、「応援することで続けていきたい」。15人もの人数で、パスはうしろにだけ。「ボールを持てば自分が先頭で、仲間たちがサポートしてくれている。それを感じられるのがいいですよね」と言うラグビーの魅力を、周りの人たちに知ってもらえるように生きていきたい。
「キャプテン(NO8天野拓斗)が札幌大で、5番(LO庫山理久)が道都大でラグビーを続けるので、まずは彼らを応援しようと思っています」
 辛いこともあったけど、「そのマイナスをいつも試合でプラマイゼロにしてくれるから」3年間続けられたと笑う。
「夢の舞台に立てたこと。予選決勝の決勝トライ。一生忘れません」
 みんなも、花のことを忘れません。

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