国内 2026.09.26

代表選手の位置に大型新人。早大・吉廻温真は「世界と戦っていける人材になりたい」。

[ 向 風見也 ]
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代表選手の位置に大型新人。早大・吉廻温真は「世界と戦っていける人材になりたい」。
吉廻温真[早大/FB](筆者撮影)

 早大ラグビー部で秋の初トライを決めたのは、稀有なルーキーだった。

 9月12日に加盟する関東大学対抗戦Aの開幕節を迎え、前半5分に会場の東京・駒沢オリンピック公園陸上競技場のポール右脇にグラウンディングした。夏場から最後尾のFBで主力入りの吉廻温真が、日体大とのファーストゲームにおけるファーストパンチを放った。

 その後もキックチェイスからのタックル、走者へのサポート、コンタクトしながらフットワークを効かせる独自の走りを披露。69-0で勝った。

 身長186センチ、体重85キロと体格に恵まれ、ばねがあって空中戦に強い。ジャンプからの着地直後であっても鋭いタックルをかわせる身体感覚があり、人に掴まれながらの順手や逆手でのオフロードパスも巧みだ。ちなみに元サッカー少年で、その頃からキックは左で蹴る。

「高さがあるのでしっかり活かし、これから強みにしていきたいです。小学校時代からサッカーをしていて、キックが得意ではあります。2~3年から6年生まで、土曜にサッカーをやって、日曜にラグビーという感じでした」

 本人がこう語ったのは8月23日、長野・菅平高原のサニアパークである。夏合宿中の練習試合で天理大を55-24で下した直後だった。この午後は2トライをマークしている。

 話題は競技との出会いに及ぶ。4歳で地元の埼玉にある浦和ラグビースクールに通い始めたルーキーは、こう続ける。

「あまり覚えていないですが、最初からタックルとかは怖くなくて。多分、楽しかったから続けていて、いまも楽しいから続けています」

 生まれはタイ。父は商社勤めで、職業柄、世界各地で働いていた。ちなみに天理大戦の日も勤務地のブラジルから「10日間だけ日本」に帰ってきていたようで、愛犬とともに観戦してくれていたという。

 その影響か、息子もいま将来について聞かれれば「どうなるかわかりませんが、いろんな場面で世界と戦っていける人材になりたいです」。楕円球と出会ったのも、その生い立ちと関係していた。

「3歳までバンコクにいて。日本に帰ってきたら、幼稚園には人数が多くて入れなくて(翌年に入園)。で、お父さん(島根・出雲高、立大)がラグビーをしていたので、地元のラグビースクールに…という感じです。1年間は、ラグビーが幼稚園みたいなものでした!」

 ずっと早大が好きだった。「中学は強いチームで」とワセダクラブに入り、本家が使う都内の上井草グラウンドで活動した。

 自分たちが汗を流す脇で、大学生がウェイトトレーニングをしているのをよく目にした。いずれも「赤黒」と呼ばれるファーストジャージーを目指し、努力しているとわかった。

 練習施設を出入りする際、必ずお辞儀をするのが習わしだった。この地に通い続けるうち、大学生になってもここでプレーしたいと少年は思った。

「グラウンドの雰囲気、伝統やジャージーを大切にする文化に惹かれました」

 系列の早稲田佐賀高に誘われた。卒業後の早大入りを視野に親元を離れ、同県で全国大会常連の佐賀工高に挑み続けた。

 1年時は司令塔のSOだった。県大会決勝に出てきた佐賀工高の対面は、現早大3年の服部亮太だった。

「最終的に勝つことはできなかったのですけど、大きい壁を目指してチームで試行錯誤して考えながらラグビーをしていく経験は、本当にあのクラブでしかできなかった」

 これからキャリアを積み上げる原石について、大田尾竜彦監督はこう展望する。

「求めているプレーをはっきり伝え、そのなかで伸び伸びやらせています。外側で違いを生み出せる」

 早大でFBと言えば、矢崎由高がいる。2年目から日本代表となった4年生エースのコンディション調整や代表活動が一段落ついたら、吉廻はタフな定位置争いを強いられる格好。本人の所感は。

「日本代表の矢崎さんをリスペクトしています。そんななか自分のできることにチャレンジして、チームを底上げできれば」

 27日には東京・秩父宮ラグビー場で、立大との2戦目に先発する。

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