太い首と確かな決意。レッドハリケーンズ大阪の坂本洋道、「いるべきところ」に戻る。
人呼んで「親指」。鍛錬の証を冗談の口調で紹介するのは坂本洋道。レッドハリケーンズ大阪のラグビー選手だ。
現在は国内リーグワン2部に加盟も、初年度以来となる1部復帰を目指している。最前列の左PRとして、上位陣にもスクラムで組み勝てるべく鍛錬に励んでいる。頭が「親指」でいうところの爪のように見えるほど、首が太くなった。
「毎日、首のトレーニングはしていて。ただ、世界にはもっと太い人もいる。1部に上がっても通用するように…と意識して、気づいたらこんな風に」
‘24年に就任の井野川基知ハイパフォーマンスコーチのもと、胸板、肩回り、下半身もパンプアップ。身長173センチ、体重102キロの29歳は、昨年12月に開幕の今シーズンここまで8戦出場し、4度先発。主力格として信頼される。
3月27日には、地元のヨドコウ桜スタジアムで力を示した。17-31とリードされていた後半13分に登場すると、スクラムで好プッシュを連発。逆転こそ叶わなかったが、24-31と迫った。
「スクラムで流れを変えないと。そこは責務。気合いを入れました。リザーブにいた2番(HO)の島田久満主将、3番(右PR)の安部駿亮とも、どう組むかを細かく話し合いました」
努力で立場を掴んだ。
遡って2018年。専大4年目のシーズンに、参戦する関東大学リーグ戦で1部へ昇格。登録する学年を「3年生」にし、翌’19年度まで在籍した。当時あった旧トップリーグへの参戦に向け、各クラブに存在をアピールするためだ。結局、合同トライアウトを経て、‛20年、トップリーグにいたレッドハリケーンズへ加わった。
折しもコンバートを決断した。もともと親しんでいたFW第3列のFLから、先頭中央のHOに移った。上背に限りのある選手も活躍できる位置と見て挑戦したが、それでも出場機会を得るのは難しかった。3年間、思うようなチャンスを得られなかったのを受け、現ヘッドコーチで元PRの松川功と相談。‛23年度より左PRに転じた。
ラインアウトの投球を任されるHOと比べ、左PRはスクラムをはじめとした身体衝突に一意専心しやすい。坂本の述懐。
「功さんに、身体の強さを活かすなら1番(左PR)と言われ、そこからですね。公式戦にデビューして、試合に出られるようになって、それから、首も太くなって」
クラブ愛は強い。’24年度の開幕前には、ニュージーランドへ留学させてくれた。
現地のパーマストンノースにある、オールドボーイズ・マリストというクラブに合流した。目の前にいたのは、国際リーグのスーパーラグビー入りを目指すハングリーな若者たちだった。
練習の前後に仕事があるからだろうか、反射する素材の作業服のままウェイト器具を持つ者もいた。
自身の置かれた日本の「社員選手」という立場が、いかに恵まれているかがわかった。最近、当時のクラブシーンで戦っていた仲間や相手をスーパーラグビーの試合映像で見かけることがある。感銘を受ける。
繰り返せば、視線の先には1部昇格を見据える。
リーグワンができたばかりの‛21年度(‛22年1月から)にはNTTドコモレッドハリケーンズ大阪として1部にいたものの、シーズン終盤、同じディビジョンにいたNTTコミュニケーションズシャイニングアークス東京ベイ・浦安との再編を通告された。坂本はこうだ。
「コロナ禍の頃に入社したので会社の業務にも携わることができず、再編というものにも実感がなかった。チームが潰れるんじゃないかとしか思いようがなかったです。ただ、3部に残してもらえた。皆はどうなるんだろうと考えていたなか、自分は公式戦に出なければという明確なターゲットがあった。ぶらされず、明日の練習がある環境で全力を尽くすだけでした」
翌‘22年度、シャイニングアークスの拠点にできた浦安D-Rocksに多くの海外選手が集結する一方、社員選手中心となったレッドハリケーンズは3部からリスタート。レッドハリケーンズは‛23年度から2部に上がり、かつ、もともといた場所へ帰ろうとしている。
首が「親指」のシルエットになった名手は、いつもスタンドに集まる愛好家たちを念頭に置く。
「もともと外国人の目立っていたチームでしたが、いまは日本人選手が数少ない外国人選手と繋がり、以前1部にいた頃よりもハードワークしています。大阪のファンはトップリーグ時代から応援してくれていました。いるべきところに戻らなきゃいけない」
ミッションクリアへ、「まず、日々できる最善を尽くす。自分もようやくチームのことを見られるようになったので、デビューする後輩たちを引っ張っていく。いままで頼っていた先輩たちが抜けていますし、(自身が)頼られるようにもっと経験を積んでやっていきたいです」。まだまだ首を鍛える。



