コラム 2025.12.26

【ラグリパWest】監督として立つ。宇佐美和彦 [聖光学院高校/保健・体育教員/ラグビー部監督]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】監督として立つ。宇佐美和彦 [聖光学院高校/保健・体育教員/ラグビー部監督]
福島・聖光学院のラグビー部監督についた宇佐美和彦さん(右)。今年、コーチから昇格した。チームは2大会連続3回目の全国大会に挑む。その直前合宿を母校の立命館大で行った。左はラグビー部OBでアドバイザーの高見澤篤さん。168センチの高見澤さんと比べれば、198センチの大きさがよくわかる。宇佐美さんはLOとして日本代表キャップ10を得た

 選手からコーチを経て、監督になった。変わらないのは宇佐美和彦のその高身長だ。
「198センチですね」
 冬でも残る日焼けは指導の証し。眼もとは優しく下がり、白い歯がのぞく。

 ラグビー日本代表としてのキャップは10。その元LOは今春、初めて監督になった。福島県にある聖光学院を率いて、12月27日から始まる105回全国高校大会を戦う。

 この私立校の出場は2大会連続3回目。創部は1966年(昭和41)。学校創立の4年後だった。60年続く部活は強化指定になった。コーチからの昇格はその流れに沿う。

 宇佐美は来年3月で34歳になる。保健・体育の正教員でもある。
「授業は週に17時間ほど持っています。2年生の担任もしています」
 着任は2023年の4月。3年目に入った。

 聖光学院は県予選決勝で松韻福島を17-0で降した。FW出身の宇佐美らしく、仕込んだモールを起点にトライを奪う。軸は2年生LOのアニセ マウシオ。父のサムエラはLOとして日本代表キャップ12を持つ。

 サムエラは今、BL東京のコーチをつとめる。宇佐美とはキヤノン(現・横浜E)で同僚選手だった。大切な息子に寮生活をさせてまで預ける信頼が宇佐美にはある。

 その寮のことを宇佐美は話す。
「ラグビー部の専用寮があります。寮生は選手の7割を占めます」
 選手は28人、女子マネは5人。来年は関東一円を中心に23人の入学が決まっている。

 全国大会の目標を口にする。
「まず、初勝利を挙げることですね」
 104回は京都工学院に0-112、初出場の98回は城東(徳島)に7-24だった。
「スタートの15人は体を張れます。崩れることはなくなったと思います」

 自身のコーチングを語る。
「長い練習はしません。2時間にとどめます。腹八分目。もっとやりたい、で終わるのがいい。自主練は多い目です」
 それはプロ経験から来ている。キヤノンの2年目、2015年に社員選手から転じた。

 社会人は2チームで8季を過ごした。キヤノンが二期6季。最後の2022年はアシスタントコーチだった。同年、トップリーグからリーグワンに変わる。その間、パナソニック(現・埼玉WK)には2017年から2季在籍。重複して日本代表強化のために2016年にできたサンウルブズにも2季いた。

 選手7季と短かった理由はケガだ。LOは肉弾戦の軸となり、傷は多くなる。腰やひざを痛め、最後は脳震とうだった。
「これくらい頭をぶつけただけでも、目の前が真っ暗になったりしていました」
テーブルを平手で軽くたたいた。

 キヤノンでの最高位は2021年の5位、パナソニックでは2017-18年の準優勝だ。公式戦初出場はキヤノン1年目の2014年8月24日。初戦のトヨタ自動車(現トヨタV)に先発する。試合は16-23で敗れた。

 社会人最後にキヤノンに戻れたのは、GMだった永友洋司の存在があった。
「永友さんが、戻って来い、と言ってくれました。チームには感謝しかありません」
 この出来事も宇佐美の人間性を示している。永友は今、日本代表の現場トップ、チームディレクターをつとめている。

 その日本代表における宇佐美の初キャップはキヤノンでデビューした翌年、2015年の4月18日だった。アジアラグビーチャンピオンシップの韓国戦に途中出場し、56-30の勝利に貢献した。ただ、その秋のW杯は31人のメンバーからもれる。

 後悔や執着は宇佐美にはない。
「自分はまだまだやな、と思いました。テレビで試合を見てもレベルは高かったですね」
 この大会で日本は南アフリカを34-32で破り、<ブライトンの奇跡>を起こす。

 その代表に導いてくれたキヤノンには立命館から入った。宇佐美は振り返る。
「決め手は落合さん。面倒見のいい人でした」
 落合佑輔はひとつ上のバックローだった。

 この大学からはHO庭井祐輔、FL嶋田直人も入社する。同期2人には感謝がある。
「2人のおかげで僕の名前が出ます」
 庭井は現役を続け、日本代表キャップは10。嶋田は昨季で現役引退をして、育成や普及のチームスタッフになった。

 立命館では4年時の2013年、関西リーグ優勝を果たす。12年ぶり2回目の頂点だった。大学選手権は50回大会。明治には12-10と勝ったが、慶應には22-26、東海には35-42。1勝2敗で予選プール敗退となる。

 立命館は宇佐美の噂を聞き、スポーツ健康科学部の推薦をかける。出身高校は愛媛の県立、西条。中学までは野球をやったが、ラグビーに転じる。全国大会の出場はない。
「野球はすごいやつがいっぱいいました」
 高校の同級生は秋山拓巳。阪神在籍14年で134登板49勝44敗の成績を残す。

 愛媛を振り出しに関西、関東、そして今は東北にいる。家族の縁からこの福島の地に来て、高校生にラグビーを教えている。
「楽しいです」
 住まいは移り変わったが、満足感を得る。

 監督1年目で迎える105回大会は12月28日、1回戦で近大和歌山と対戦する。
「メインの第一グラウンドで試合ができます」
 宇佐美が最初にここでプレーをしたのは高3の1月だった。U18合同チーム東西対抗に出場した。高校決勝の前座試合だった。

 エンジとグレーの段柄ジャージーをまとう教え子たちを想い、喜ぶ。
「ふわふわ、宙に浮いた感じでプレーしていました。同じ経験をさせてあげられる」
 大学4年の選手権で明治に勝ったのもこの第一グラウンドだった。

 ラグビーのよさを口にする。
「誰かのため。それだけだと思います」
 今、宇佐美にとっての<誰か>は教え子である。自らの言葉を実践して、得難い経験を教え子たちにつけさせてゆく。

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